《ブルンディの悲劇》 ルワンダに“最終解決”へ向けて最後の一歩を踏み出させたのは、(またしても)隣国ブルンディでの政治展開である。 72年の大虐殺以後、軍政下にあったブルンディは、数度の政変を繰り返しながら徐々にフツ・ツチ融和の道を進んできた。87年にクーデターで政権を奪取したピエール・ブヨヤ少佐も、国民和解と民主化を方針として掲げ、憲法の制定、政党結成の解禁などの政策を打ち出した。 こうした流れの中で、93年6月に国際機関の監視のもと、ブルンディ独立後初の民主的で公正な選挙が行われた。この結果、メルヒオール・ンダダエが勝利し、ブルンディ初のフツ大統領となる。さらに国民議会選挙では、ンダダエが党首を務めるFRODEBUが81議席中65議席を獲得した。ブヨヤはただちに選挙結果を認め、大統領の職を辞するという並はずれた度量をみせた。ンダダエが組閣した内閣はフツが15名、ツチが7名、首相にツチを