前回まで (1) (2) 荻生徂徠が博学を尊び、彼の学問観にいたってようやく文献研究として<スタディ>が自立してくる、と書いたが、もう少し調べてみると、そう単純な話ではなく、ちょっと違うかもしれない、慎重に考えた方がいいとも思えてきた。 文献研究の「幅」 徂徠が歴史を重んじたのは、実際そう言っているテキストがあるわけだから確かであろうが、だからといってそれは別に今日想像される歴史学に近いものと捉えるのは、かえって無理なのかもしれない。例えば日本において、近代歴史学を切り拓いた一人、重野安繹の有名な講演「学問は遂に考証に帰す」では、代表的な考証家として、 新井白石、本居宣長、伊勢貞丈、塙保己一、狩谷棭斎、伴信友、黒川春村、岡本保孝… の名前が挙げられているものの、むしろ徂徠は入っていない。重野は近年研究が進められている幕末の昌平坂学問所という、西洋の知識も入ってきていた場所で朱子学を身に付け