2019年1月18日のブックマーク (8件)

  • プリプリの名曲『M』、今だから明かせる誕生秘話(週刊現代) @gendai_biz

    笹路 アレンジにも、すごくこだわったよね。 河合 そう。僕が最初に『M』のデモテープを聴いた時、正直「これは困ったぞ」と思った。プリプリは女性版のロックバンドをやろうと始まった経緯があるから、こういう静かな曲を演奏していいのかと迷ったよ。 笹路 バラードだと弦楽器や管楽器をつい入れてしまいがちだけど、そうすると歌謡曲みたいになってしまうからやめようという話もしたね。 河合 それで考えるうちに、クイーンをヒントにしようとひらめいた。クイーンはポップな曲をハードに演奏していたから、ああいう感じならバラードでありながらロックさを出せるなと。 笹路 いかにも女の子らしい歌を、あえて激しく演奏する。そのギャップが良かったんでしょう。 富田 パンちゃん(今野登茂子・キーボード)、アッコちゃん(渡辺敦子・ベース)、カナちゃんの3人によるコーラスもすごく良いですよね。女性バンドじゃなきゃ、ああはできません

    プリプリの名曲『M』、今だから明かせる誕生秘話(週刊現代) @gendai_biz
  • Princess Princess - Budokan '94 (Full Concert)

  • (1)復興ライブ 宝物だよ…プリンセスプリンセス : まとめ読み「NEWS通」 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

  • プリプリの名曲『M』、今だから明かせる誕生秘話(週刊現代) @gendai_biz

    「いつも一緒にいたかった」女の子の素直な気持ちを歌ったバラードは、オジサンにも沁みた。好きだったあの子のイニシャルを思い出しながら、聴いていた。 時代を超える名曲が誕生した舞台裏を、作詞を担当した富田京子さん(プリンセスプリンセスのドラマー)、音楽プロデューサーの河合誠一マイケルさん、笹路正徳さんが明かす。 『M』/'89年4月に発売され、シングルCD史上初のミリオンセラーとなったプリンセス プリンセスの『Diamonds』のカップリング曲。DVD・ブルーレイ「PRINCESS PRINCESS TOUR 2012-2016 再会 -FOR EVER-“後夜祭”at 豊洲PIT」が3月8日発売 失恋の実体験を書いた詞 富田京子 マイケルさんも笹路さんも、『M』なんて忘れちゃったんじゃない? 河合誠一マイケル 忘れるわけないよ。というより、しょっちゅう聴いてる。僕は今も岸谷香(当時は奥居香・

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  • 「復帰して、中居に言われたひと言にジンときた」完全復活したヒロミが大切にしてきたもの|新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。

    「実はオレ、生き急いでたんだよね」 「復帰して、中居に言われたひと言にジンときた」完全復活したヒロミが大切にしてきたもの ヒロミさん。 『ウチのガヤがすみません!』『火曜サプライズ』(日テレビ)、『東大王』(TBS)などの番組でMCを務めるなど、現在バラエティ番組で見ない日はないほどの大活躍です。 そんなヒロミさんがかつて芸能界から離れ、表舞台から姿を消していたのは有名な話。しかもその期間約10年…! なぜ第一線から離れ、そして復帰することができたのか?これまでヒロミさんが大切にしてきたもの、そしてR25世代へのアドバイスをお届けします! 〈聞き手:天野俊吉(新R25編集部)〉

    「復帰して、中居に言われたひと言にジンときた」完全復活したヒロミが大切にしてきたもの|新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。
  • こんまりメソッドの世界的大ブレイクから考える日本のコンテンツの未来(徳力基彦) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    100万部を超えるベストセラーとなった「人生がときめく片づけの魔法」の著者としても有名な、こんまりこと近藤麻理恵さんの「こんまりメソッド」が世界的な話題になっているようです。 今年の元旦から動画配信サービスのNetflixで配信開始されたオリジナル番組「人生がときめく片づけの魔法」が公開されると、米国を中心に世界中で一気に話題になった模様。 番組の中でのを捨てるという行為が、一部の好きの識者の批判を引き起こしたこともあり、一部ではアジア人に対する差別問題の議論まで展開されているとか。 参考:こんまりメソッドを巡り、世界中で激論。差別問題にも発展。 こちらの記事のタイトルは炎上気味に書いてありますが、おおよその視聴者の反応は非常に好意的なようで。 一部ではすでに「Konmari」という単語が、片付けをするという意味の動詞的に使われ始めているんだそうです。 「Google」=「検索する」の

    こんまりメソッドの世界的大ブレイクから考える日本のコンテンツの未来(徳力基彦) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • 川上貞奴 - Wikipedia

    東京・日橋の両替商・越後屋の12番目の子供として誕生。生家の没落により、7歳の時に芳町の芸妓置屋「濱田屋」の女将、可免吉の養女となる[1]。伝統ある「奴」名をもらい「貞奴」を襲名。芸妓としてお座敷にあがる。日舞の技芸に秀で、才色兼備の誉れが高かった貞奴は「時の総理伊藤博文や西園寺公望など名立たる元勲から贔屓にされ、名実共に日一の芸妓となった」と当人や周囲は自慢していたようだが、西園寺公望は若い頃から知っているとした上で、福澤桃介と一緒に貞奴がついてきた話をして、貞奴を酷評している。「皺だらけの顔に白粉を塗って、まるで生湯葉にパン粉を振りかけたようだった。それでいつぞや皺を伸ばす薬は無いかと誰かに言ったそうだ。あんな鉄面皮は普通の工場ではダメだ、よほど高い熱で無ければ鍛え直すことも出来まい」と『園公秘話』でとても贔屓にしていたとは思えない言葉を残している。 舞台衣装を身にまとった貞奴 ベ

    川上貞奴 - Wikipedia
  • 素晴らしき日々〜不連続存在〜