「上野駅から夜汽車に乗って」改題 とうとう橋本治までなくなってしまった。 平成終わりの年にさらに改題してリスタート。 東浩紀が堀紘一と対立し、「もうやってらんないよ」と席を立つ騒動となった今回の朝生。ツイッターで、「退席」というつぶやきを見て、いったい何が!と思っていたが、夕べやっと、録画してた番組を見た。 かつての野坂昭如と大島渚の怒鳴り合いを知る世代としては、なんか久々の爽快感だった。東浩紀がガチで切れてたというのもあるが、この「退席」騒動で今回の放送、救われたみたいなもんだ。 パネリストはこんな感じ。 東浩紀(早稲田大学教授、批評家) 猪子寿之(チームラボ代表取締役社長) 河添誠(首都圏青年ユニオン書記長) 勝間和代(経済評論家) 清水康之(NPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」代表) 城繁幸(Joe's Labo代表取締役、作家) 高橋亮平(NPO法人「Rights」副代
暮らし もふもふしたウサギが主演する戦争アニメは、ただそれだけで非難に値する - R is for Rumor
親の言う事を聞くことは良いことなの? 世界を変えてきた人々は親の言う事なんて聞いてたっけ? 親は子どもにお金を出しているからって子どもに自分の思い通りに指せる権利はあるの?
「差別表現」あるいは「差別語」をめぐる問題は、近年マスコミでも大きく取り上げられ、様々な立場の論者によって活発な議論がくりひろげられてきました。とくに、筒井康隆氏の小説「無人警察」については、筒井氏の「断筆宣言」をきっかけに議論が沸騰し、非常に多くの人が意見を表明しています。 しかし、これまでの議論の多くは、(差別)表現の規制の是非やその方法、差別への抗議のありかたやマスコミの対応など、どちらかと言えば二次的な問題に終始し、発端となった小説そのものの評価は十分行われてこなかったように思えます(1)。 このように具体的な表現内容についての議論が充分に展開されなかった原因は、「無人警察」における表現の意図と、その小説が差別表現であるか否かが切り離されてしまったことにあると思います。差別であると告発された表現が小説の主題とどのように関っているかは、まったくと言っていいほど論じられてきませんでした
先日友人達と旅行中、「手作り雑貨とかも売ってるエコなカフェでっせ」的な店に入ったわけですが、そこにあった冊子がマジパネェ。ガチパネェ。 タイトルの通り、肉と牛乳と砂糖が危なくて、ご飯がえらいということを主張する冊子。とってもすばらしい内容だったと思うので、みんなに紹介するよ!(棒読み) まずは『肉はあぶない?』から。 「肉の消費量とガンの発症率が同じくらい伸びている→ガンは肉のしわざ」 ちょwww 「全ての病気の原因は肉にあるというのは欧米のトレンディな人々の間では常識」 肉こええええええ。で、欧米ってどこ? 「ジャンクフードばかり食べているとガンになります」 「ガーン!」 ダジャレです。 「肉食獣は立っている力が弱い。最近の若者も同じだ。すぐに地べたに座り込む。だから私はジベタリアンと呼んでいるんだ」 あれは肉のせいだったのか。 「昭和46年代の生徒に比べると明らかに持久力が落ちている」
自転車置場の議論 人が集まると、なぜかどうでもいいようなことほど議論が紛糾してしまう傾向がありますが、このような現象のことを、FreeBSD のコミュニティでは自転車置場の議論 (bikeshed discussion) と呼んでいることを知りました。 この、「瑣末なことほど議論が紛糾する現象」はパーキンソンの法則という本の「議題の一項目の審議に要する時間は、その項目についての支出の額に反比例する」という法則として知られています。 この本の中で著者は、原子炉の建設のような莫大な予算のかかる議題については誰も理解できないためにあっさり承認が通る一方で、市庁舎の自転車置場の屋根の費用や、果ては福祉委員会の会合の茶菓となると、誰もが口をはさみ始めて議論が延々と紛糾するというストーリーを紹介しています。 このように、「瑣末なことほど議論が紛糾する現象」はパーキンソン氏によって見事に説明されているの
◇国通知、具体策なく/「拒否」「支援」対応ばらばら 1時間目の授業はもう始まっている。静まり返った校内に入り、他の生徒が誰もいない別室で席に着く。下校は午後の授業中。教師に付き添われ、人目につかぬよう通用門から出る。 「まるで悪いことをしているような毎日でした。差別の心をなくす教育をすべき学校が、臭いものにふたをするようでいいのでしょうか」。兵庫県の公立中学校をこの春卒業した千春さん(15)=仮名=の母親(52)は今も学校の対応に怒りを禁じ得ない。 千春さんは幼いころから女の子っぽい男の子で、小学校では同級生にからかわれた。中学に入学して5日目、隣の小学校を卒業した男子に「オカマのくせに偉そうにするな」とからまれた。「陰で言いふらされているんだ」。次の日から学校に行けなくなった。 2年生の秋、性同一性障害(GID)の専門病院を受診し、カウンセリングを受けるようになった。翌春、母親は不登校生
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