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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (2)

  • なぜ岩崎恭子は「今まで生きてきたなかで一番幸せです」と言ったのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「今まで生きてきたなかで一番幸せです」 十四才の岩崎恭子がバルセロナオリンピックの平泳ぎで金メダルを獲得したとき、「今まで生きてきたなかで一番幸せです」と発言したことは有名である。この発言の滑稽さはオリンピックで金メダルとることは確かに人生でも希有な体験だろうが、たいした人生経験がない14才の少女がつかう言葉ではないだろう、ということだ。 想像するに、彼女はこのような場面でこの発言が使われていたのはどこかで見ていて、思わず、喜びを表現する言葉としてでてきてしまったのだろう。子供の発言にはこのようなことが多々ある。「そんな発言どこでおぼえたんだ」というような、大人びた、そしてとってつけたような発言をする。 ここではヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」論が浮き彫りになる。言語ゲームは「規則に従う」ことであるという。これは言語の「規則」を学び、それに従って発言するということではなく、「規則」より

    なぜ岩崎恭子は「今まで生きてきたなかで一番幸せです」と言ったのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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    head 2007/01/17
  • なぜ新書ブームなのか 認知限界社会 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    マスメディアの中で継続的に続く「大きな物語」 最近、コント番組というものがなくなりましたね。バラエティー番組というハプニングを売り物にする、ライブ感を大切にする番組花盛りです。それは、「あいのり」のようなライブバラエティーに繋がっています。 多くの視聴者は軽い感じで、テレビを「ながら見」しています。コントでは、内容を「読み込む」ために、その場面の状況(コンテクスト)を読み込む必要があります。同じタレントがでていたも、このコントでは彼はどのような役を演じて、どのような状況(コンテクスト)におかれているのか。 バラエティーではそのような読み込みは必要とされません。出川はいつも出川という役です。バラエティーは同じタレントが入れ替わり立ち替わりでますが、出川ならいじめられ役のように、お嬢様役、キレ役などなど、タレントはすでにある役を担わされたキャラクターです。それは、いわば、マスメディアの中で継続

    なぜ新書ブームなのか 認知限界社会 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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    head 2006/10/15
    新書はブログ的だと感じる。
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