「少女」は女の子とははっきり言って関係がない。 このあいだ、『八本脚の蝶』からこんな箇所を引用したけれど……ふと、ほんとうのほんとうに女の子と「少女」の区別がつかなくて、女の子を「少女」として消費することに無自覚な人は、こういう記述を見ても何とも感じないんじゃなかろうか、と考えた。こういう「女の子」の姿さえ、「思い悩む賢い少女」という、自分にとって心地いい「少女」イメージとしてとらえてしまうんじゃないだろうか。 「女の子」がいくら笑っても怒っても泣いても、いくら自分の考えていることや思っていることを話したり書いたりして表現しても、相手が作り出した実体のない「少女」像に吸収されてしまうんじゃ、「女の子」にとってはやりきれない。で、インターネットにおいては容姿の優れていない女の子でも「少女」として消費される発信者になることができるし、「少女」イメージを求める男の人はそういう女の子を見つけて受信