いやね。 自分もいろいろ、好きな作品の感想とかを書くのが日々楽しくて仕方ないのですが、書きながら自分で掘った穴に落ちてしまうことが最近多々あります。穴というか、ぬかるみといいますか。 たとえば昨日のプリキュアの記事ですが、自分で思ったとおりに書いた後に、他のいろいろな感想ページを見ていると…ものっそい不安になるんですよ。自分びびりなので。監督や演出がだれだれだからどうのこうのとか、番組とおもちゃのタイアップがアレアレだからああだこうだとか。すっごい裏の裏まで詳しい人が多いわけですよ。 そのへんまったく知識なしに「緑と青は百合!」とかしか書いてないわけです。自分よりも何十倍も詳しい人は星の数ほど多いわけで、ふと「そういうこと知らないで感想書いちゃって…いいのだろうか…」と逃げ腰になることもしばしば。しかも書いた後に。でも書いてしまうのはもうサガです。 ディープにすべての知識を身につけていたほ
いわれなき「ロリコンという偏見」の時代が甦る(川俣晶の縁側) 以前書いたナオコサンのレビューを見てくださった人の記事なんですが、これが非常に面白くて、視点の面でも是非一度読んでいただきたいので紹介。 なぜなら、当時のオタクにとって、自分たちがおかしいことは自覚されており、それは常に笑いのネタとして使われたからです。オタク文化が変な場所に迷い込まない健全性を持ち得たのは、その「自分自身を客観視して笑える精神の健全性」ゆえのことかもしれません。 しかし、この健全性は現在では希薄化していると感じます。世界に通用するオタク文化という誇張されたフィクションを信じ込み、自分たちはおかしくないと思い込んでしまった人達は珍しくないと感じます。 自分はずっと「オタクは楽しみ方を知っている人たちだ」と思っているのですが、自分を客観的に笑える、というのは言われてみたらそうですネ。といっても、このへんオタクじゃな
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