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日本に関するhennoのブックマーク (5)

  • アジアカップカタール戦の感想と日本の中央突破サカー - pal-9999のサッカーレポート

    なんか、また喉が痛いわけですが、今日もサカーの亜細亜割賦のお話。ちなみに、試合は、皆さんご存じかと思うんだけど、3−2で日カタールに逆転勝利。凄い試合だった。よく頑張った!!一人少ない状況から逆転勝利!!しかも、得点が全部中央突破!!中央突破といえばバルサ。中央突破で3点とかメツ監督の「日はアジアのバルサ」発言が現実に。なんということでしょう。 個人的には、左サイドの攻防がカギになるかと思っていた。理由は、日の4231で、右サイドのオカザーギとイノーハがゲーム作れるタイプじゃないからである。中央の田は起点になりきれてないので、日香川の左サイドでゲーム作ってくるだろうし、カタールは左サイドでボール奪ってカウンターという展開でくるだろうと思ってたんである。そんな訳で、組み立てに参加しなきゃいけない香川はあまり点には絡めないだろうと思っていたのだが、まぁ、蓋を開けてみたら、日の得

    アジアカップカタール戦の感想と日本の中央突破サカー - pal-9999のサッカーレポート
  • 青空文庫で読める日本古典SF

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 尖閣沖衝突事件の中国人船長を釈放: 極東ブログ

    領海内である尖閣諸島周辺で7日海上保安庁・巡視船に中国漁船が衝突し、公務執行妨害の疑いで逮捕・送検・拘留されていた詹其雄(41)船長について、那覇地検は今日、処分保留の釈放を決定した。理由は、「船長がとった行動に計画性は認められず、我が国の国民への影響や今後の日中関係を考慮した」(参照)とのことで地検が外交関係に配慮したことを明確に示した。釈放時期は未定だが早急に実施されることだろう。 司法が外交に言及するなど、通常なら余計なことを口にして愚かなことだと見られがちだが、今回の地検対応はそれなりの意味がある。 日人の大方の印象は理不尽な中国の圧力に屈した菅政権の弱腰外交の影響を見ることだろう。この数日、中国側は詹船長釈放に向けてかなりの圧力をかけていたことがどうしても背景に見られてしまう。 国連総会出席で訪米した温首相はニューヨークの在米華人会合で「必要な対抗措置をとらざるをえない」(

  • Chikirinの日記

    1.ネット選挙の導入 ・ネットによる選挙広報、政治献金を解禁 ・ネット投票システムを導入(PC,携帯、コンビニ端末) 2.一人一票の実現 ・直前の国勢調査、住民登録等に基づき、自動的に議員定数が調整されるよう法律を改正 3.道州制の導入 ・北海道、東北、関東、北陸&中央、中部、関西、中国、四国、九州&沖縄 ・意味としては“明治維新以来続いてきた中央集権制”から分権制への体制転換 ・・国会議員数は10分の1に削減(衆議院50、参議院50) ・・霞ヶ関は、国が担当する外交、軍事、憲法関連事項などの管轄組織以外はすべて解散 ・なお、これ以降に記載する政策については、各州で修正することも認める 4.移民の積極的な受け入れ ・留学生を大幅増。卒業後の日への定着策を強化 ・移民派遣大国(フィリピン、インドネシアなど)からの労働者受け入れを積極化 ・ハイエンド移民の優遇策の導入(過去の関連エントリ)

    Chikirinの日記
    henno
    henno 2010/05/31
    概ね賛成だが、問題はこれらの政策の実現を、現在の政治・経済システムから漸進的に移行可能なものにするかということだ。
  • 日本を破滅させた無能海軍 | 探検コム

    が第2次世界大戦で負けた原因はどこにあるのか? こう聞くと、たいていの日人は「陸軍が悪かった」と答えるのですが、これは当でしょうか? 戦史を丹念に追っていくと、無能で権威主義だった帝国海軍こそが日を敗戦に導いた根的原因だと判断せざるを得ません。しかし、戦後60年以上経った今でも「東京裁判史観」が幅をきかしているわが国では、いつまでたってもそうした見方は支持されないのです。 僕の知り合いだった故佐藤晃さんは、終戦以来ずっと「陸軍悪玉論」に疑問を感じていました。そこで、退職後に戦史研究を始め、その成果を執筆してきました。テーマは一貫して「海軍無能論」です。そこで、その成果の一部を紹介したいと思います。 (当初、ご遺族から全文公開の許可をいただいたのですが、翻意されたので、法的に問題ない範囲での紹介にとどめます) 海軍の誕生と消滅 1867年、明治維新が成立すると、明治新政府は、日

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