30年以上、古墳とされてきたが実は…。諏訪郡下諏訪町社の「ふじ塚古墳」が、経文を記した石を埋納した中近世の経塚だったことが30日、県埋蔵文化財センター(長野市)の発掘調査で分かった。周辺には古墳時代後期の円墳が点在、1986(昭和61)年時点で町は古墳と見なしていた。今回、手のひらサイズの平たい石に1字ずつ経文が書かれた「経石」がまとまって出土。富士山を望める立地から、富士山信仰との関わりも指摘されている。 直径約10メートルの円形の盛り土で、諏訪湖を見下ろす標高約830メートルにある。国道20号下諏訪岡谷バイパス建設に伴いセンターが9月から調査。経石は出たが、古墳の痕跡や古墳時代の遺物は出ていない。 センターによると、一緒に見つかった陶磁器のかけらなどから、戦国時代から江戸時代に築かれたとみられる。1733(享保18)年に高島藩の5代藩主、諏訪忠林(ただとき)(1703〜70年)が領内を