2008年5月30日のブックマーク (1件)

  • 生政治/ホモ・サケル/人道的介入 - 過ぎ去ろうとしない過去

    近代的な「生-権力」は人間がまさに可死的なものであることを出発点とする。そのため、権力は「生きるままにさせておく」または「死なせる」ものから、「生きさせる」または「死の中へ廃棄する」ものへと変容するのである。フーコーにおいて前者と後者の権力は区別されたものであったが、アガンベンはこの両者が一致する現代的な全体主義国家の分析においては、この区別が問題化されると指摘する。 フーコーが1976年のコレージュ・ド・フランスでの講義でこの問いに与えている答えはよく知られている。すなわち、人種差別とは、生-権力が人類という生物的な連続体のうちに区切りを刻みこむことを可能にし、そうすることによって「生かす」システムのうちに戦争の原理をもちこむものにほかならないというのである。(p111)*1 この生の連続体において、生の政治と死の政治は無媒介に一致するというのである。生政治は、この区切りにおいてしだいに

    生政治/ホモ・サケル/人道的介入 - 過ぎ去ろうとしない過去
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    hgt 2008/05/30