アラフォーになってこれから先の人生に辛いことしかないと思うようになり、最近は自殺も計画し始めている。 できればもう少し生きていきたいと思う。 ここにいる人生の先輩達、頼むから生きていくための理由を教えてくれ。 独身で恋人もいない。 借金はないが貯金もない。
普段はこういうのは日記帳に書くんだけど出先で持ってないのでここに書く。 昨日移動に4時間かけて内定式に出席した私は、まだ土地勘のない場所で今晩の食事の予定までの時間を潰さねばならなかった。 お金もないし充電もないしで図書館に入った。土曜日の図書館は勉強している人でいっぱいだった。勉強していない人もいっぱいいた。みんな本を読んでいた。 そんなごく普通のことすら自然にできなくなっている自分が恥ずかしく、悲しかった。 この数年、心から何かに没頭できない。心から求めるものがない。 以前は知識欲が旺盛な方だった。知識を得ることに純粋な喜びを感じていた。 何かを極めて一番になるタイプでもなかったけれど、本屋に入ると興味のある本を探して手に取り、気づいたら1時間経っていたり家族とはぐれたりしていた。 今もその時の興味の残り火で研究らしきものをしている。来春には研究とは直接関係のない職種に就く。 気づけば
総額数百万の借金をようやく完済した。 社会人になりたての時期からアラフォーに至る今まで、約20年にわたる返済人生を歩んで、ようやくここまで来た。 これまでに借りた総額で言えば数百万円ではきかないと思う。借りては返し、返しては借り、を繰り返していた長い時期を考えると、これまでの所得の10%を借りていたとしても、総額1,000万円近い金額だったのかもしれない。恐ろしいことだ。 借金問題に詳しい増田の読み手ならお察しだろうが、多額の借金を返済できたのは任意整理を行なったからである。数年前に思い立って法律事務所へ赴き、相談を経たのちに任意整理に至った。借入先には忍びないが背に腹はかえられぬ。実行可能な返済計画に従って、利子を除いて淡々と返済を続けた結果、ある程度前倒しで完済することができた。 任意整理によって信用情報に傷がつくのを躊躇していた私に司法書士が放った「客観的に見てあなたの家計は終わって
追記 便所の落書きみたいなもんだが、思ったより読まれてて、みんな興味あるんだなーと。 外資、高収入、キラキラみたいなものの裏側はこんなかんじよ! 以下、コメントに回答していきます。 1.3社目のリストラ方法は好印象 これは私も思った。1社目は最悪だっただけに。 2.それでもなぜ外資系? (1)自分のことだけやればよい的思考。みな自分の仕事にしか興味ないし。ロール違うと助け合う発想にならないし。無駄なことが少ない。 (2)ジョブホッパーなので、外資系くらいでしか雇ってくれなさそう。 (3)重厚長大系に勤める妻いわく、「あなたは絶対日系大手は無理」とのこと。清濁併せ飲み、人と長期的に関係築くのが苦手でしょ、と。自分もそう思う。 (4)お金。 (5)ワークスタイル柔軟。働き方について細かくあれこれ言われない。基本ほったらかし。 3.パッケージどうだった? それぞれ。ただ言えることは、条件交渉は絶
私は2年前まで渋谷ベンチャー企業でゴリゴリ働き、12時出社3時退勤、土日も稼働、コンビニ飯生活を続けていたらあれよあれよと鬱になり遺書を書いて自◯スポットをロケハンするくらいには追い込まれてしまったので、退職して実家に戻らせてもらった。 人生で初めての母との2人暮らしだ。 母とはそれなりに仲は良い方なのかもしれない。 けど実はめちゃくちゃ苦手な人物でもある。 面倒見は良いのだけど、基本的に人の話が聞けない。傾聴能力が0に等しい。 例 私「今日友達と映画観てきて面白かったよーこんな映画でさ〜」 母「今日雨だったから自転車じゃなくてバスで買い物行ったら、ポイントカード忘れちゃってさ」 ってくらいには会話ができない。 子供の頃からずっとそうで、母は会話ができない人として認定しまっている。なので母に何かを相談したことがほぼない。確定事項を報告するのみ。 それに加えて全ての言動が否定的で、同意をして
産後に女性が辛いのなんてまあ容易に想像できるわけよ 肉体的にももちろんつらいしそれが初めての出産であれば精神的によりつらいのは想像に難くない でもそれって悪いけど男も同じでよく話題になる子供ができたって話をしたときに男が喜んでくれなくて最悪的な話あるけどさ 自分もそうだったからよく分かるんだけど嬉しくないわけじゃないんだよ ただそれと同時に妻と子と家庭を背負って生きて、生かしていかなければならないっていうプレッシャーを感じて覚悟を決める時なのよ だから手放しで喜べるものじゃないんだよ 子供が生まれたあとも仕事と両立しながら子供の面倒をできる限り見るだけじゃなくて妻のケアもしていかなきゃいけない 初めてづくしのなかで神経すり減らしながら仕事と家を両立していくことが求められ自分としても鬱憤を溜めまくってるのに 表面的には妻に優しく子育てに理解がある夫を演じて朝の3時とかに寝ない子供にブチギレる
車で3時間ほどかかる妻の実家に今年のお盆も行ってきた。 まだ小学生の娘は妻の実家が好きで、おじいちゃんとおばあちゃんに(それと猫に)会えるのを毎年楽しみにしているんだ。 お義父さんとお義母さんも娘のことが好きだから歓迎してくれて、娘はいつにも増してはしゃいでた。 それで疲れたのか、夜には晩御飯を食べるとすぐに寝ちゃったんだ。 晩御飯の後、大人だけで少し晩酌しようかって話になって、でもお酒が足りなくなった。 もうちょっと飲みたいよねって話になって、お義母さんが「私が買ってこようか」って言ってくれたんだけど、近くにコンビニがあるし俺が行ってきますって名乗り出た。 それでお願いされて、コンビニまでお酒を買いに行ったんだ。 外に出ると夏の熱気がまだ残っていて、それでも知らない夜の住宅街を歩くというのは不思議と悪い気分じゃなかった。 酔いを醒ますのにもちょうど良かったのかもしれない。 コンビニは空い
長女が先日20歳になった。 成人は定義上は18歳だが、やはり20歳になるといよいよ成人という感じがする。 特に大学生になってから、娘が家にいない時間も増え、バイトなんかをして自分のことを自分でやりくりし始めるようになったからか、いよいよ子供というよりも1人の大人として見られるようになった気がする。 そんなことを感じていたこともあって、先ほど妻と2人になったタイミングでふと「ようやく、『育て上げた』って感じがするなあ」としみじみと呟いた。 てっきり妻も同意してくれるものだと思って発したのだが返事はなく、妻の方を振り向くと微妙な面持ちをしていた。 妻はあまり自己主張をしないタイプで、だけれども器用に誤魔化すタイプでもない。何か思うところがあるのは明白だった。 妻を問いただしたところ、「正直、あなた(夫婦間では下の名前で呼び合っている)と育てたという感覚はないし、自分が育てたような気持ちになられ
追記 起きたら色々コメントもらっててびっくり!共感してくれてる人が何人かいて嬉しい それは違うよってコメントがいくつかあったから補足説明したい 彼女をチー牛呼ばわりして見下してることがバレたんだろ(意訳) 見下してない。性別が違うだけで属性はほぼ同じだと思っていたので親近感はあった。特別親しくはならなかったけど ただ、こういう系のコメント見て思ったのが男性に対してカジュアルにチー牛って呼ぶのは許されても女性に対しては許されない空気があるのかもしれない。そこは超えてはならない一線というか、女性のプライド的に駄目なのかな。その辺りに無自覚なのがハブられた理由かも 本当はセックスしたかったんだろ、風俗にいけ(意訳) 本文で違うって言ってるのにこういうコメントする人は信じないと思うけど、違うよ 受け身だからでは?他の男子たちは自分からアプローチしたんじゃない?(意訳) 友達の話を信じるなら彼女が自
男、独身、親無し、相続した実家1人住まい。 マザーというゲームのシリーズが大好きだ。 幼稚園児の頃に不思議なCMを見て親父にファミコンごと買ってもらって、内容はよくわからないままに雰囲気が好きで、プラスチックのバットやサンドイッチを持って近所を旅してマザーの主人公気分を味わった。自力でクリアできたのは小学校2年生になってから。エンディングで旅の終わりに泣いた。 マザー2が出た時は小学校4年生でこれも発売日に貯めておいたお年玉で買った。小4ということもあって1以上にのめり込んでネスと一緒に大冒険をした気分になった。自転車で町の端から端まで行った時はこれがネスの気分なんだ!と思えた。ただ野球の才能は俺にはなかった。 マザー1と2を繰り返し遊んで3の64が中止になったあたりはまあしょうがねえなあなんか不気味だったしな3Dとか思ってて、1+2はもうちょっと音楽の再現頑張れよと思ったり、スマブラでネ
彼氏の好きなところを増田にたまに書いてるんだけど、今日も聞いて欲しいのでかく。好きなところも当然あれば嫌いなところもあるし、嫌いなところはやはりそれは苦しいけど、でも好きなところのことを今日は書きたいと思う。 付き合って1年くらい経つんだけど、「彼氏はずっとこんなに可愛い人と付き合えて嬉しい」のメンタルで接してくれる。実際のところ、普通のアラサーでアラサーなりにちゃんと老けてるし、見れないほどブスってわけではないけどほんと普通の顔だと思う。人生で可愛いって言われたことは有難いながら多い方だとは思うが、なんていうか平均点の2点上的な顔。彼氏もずば抜けてイケメンではないが特段不細工とかでも全然ない(私は顔が好きだが)のにそんな感じでずーっと顔面や見た目を褒めてくれて、ほんとはすごく嬉しい。 この間日焼け止め下地とパウダーだけ、眉毛も描かずリップも塗らない休日のお昼仕様でお蕎麦屋さんに一緒に行っ
先日、高校の同窓会に出席した。 共学高校→工学系大学→自動車業界と歩を進めてきた私にとっては、高校の部活の同窓会というのは男女比がほぼ5:5になる唯一のコミュニティだ。 大学に入って以来女子のほうが多い飲み会に参加した記憶などなく、仕事帰りに男女で居酒屋に入っている集団を見ると例外なく殺意を覚えたものだが今回ばかりは私がその男女の集団なのである。 そんな飲み会に参加できるのであれば、妻との交渉にて使ったHäagen-Dazsなど安いもの。 ただ一言だけ断っておきたいのは、私は決して浮気不倫等の社会倫理に悖るコトをしたいのではなく、ただ単純に旧友に会って話がしたいということのみであり、ついでに女子が多く場が華やかであれば尚良しというただそれだけのことである。 さて高校3年間、16~18才の所謂"青春時代"をともに過ごしたメンバーであるから、破局したカップルがいたり、叶わぬ片思いの相手がいたり
小学校のころから数えて20年以上の交流がある友人が音信不通になった。 俺は男で、友人も男。小中高と同じ学校に通い、大学からは流石に離れたが、それでも連絡は取りあい、年に数度は二人で飲みに行ったり旅行に行ったりと仲の良い付き合いを続けてきた。 その彼が今年初めにぷっつりと連絡を絶った。 と、こう書くとなんか重大そうな話に見えなくもないが、実際そんなに気に病んだり心配しているわけではない。もし死んでたら墓参りには行かなきゃな、とは思っている。 それでもわざわざこんな文章を書いているのは、やっぱり多少なりもやもやした気持ちがあり、それを吐き出したいと思っているからだ。 なぜここに吐き出すのかというと、他に適切な場所がないし言える人もいないから。 ここなら何を書いても匿名だし読むのもコメントするのも全員匿名の無責任なカス共なので気楽だ。吐き出すにはちょうどいい。 実は友人が(死んだのでなければ)音
はてなブックマーカー三巨頭のダイダラボッチさんと、ブクマカの良心であるミヤウチさんからコメントをいただきました。 望外のしあわせです。あの世に行ったら自慢しようと思います。ありがとうございました😊 (以下本文です) ---------------------------------------------------------- 私は62才である。とある地方都市で、公務員として約36年働いてきた。生まれ故郷だ。 地元、そう、本当に地元だ。保育所から高等学校まで、ずっと地元である。(地元にある大学で行きたい)大学はなかったので、大阪府内に進学することになったのだが。 それから民間で三年ほど働いて、地元の市役所の採用試験を受けて入庁した。 いいことも嫌なこともたくさんあった。思い出深い職場である。時間が過ぎるのはあっという間だった。 ずっと土木建築の仕事をしてきた。道路造りに、水道に、都市
わたしが2歳ごろに、他所に女を作って母とわたしを捨てた父。 そういう印象しかなかった。 母はわたしが4歳のときには再婚をして、兄弟もできた。 今の父を手放しに「とても良いお父さんだった」とは正直言えない、色んな思いをしたけどそれはまぁ今は割愛。 奨学金は自分で払ったけど、短大まで行かせてくれたし、不自由なく育ててもらった。 だから、実の父に対する感情ってほんとになくて、無だった。 成人するまで毎年誕生日にはプレゼントと手紙をもらっていたけど、なんの感情も沸いたことがない。 「ふーん。ラッキー」くらいなもん。 もちろん返事も書いたことない、書こうと思ったことすらない。 母は時々、実の父の話をしてくれたけど 知らない芸能人の話でも聞いてるような気分だった。 ただ、母の気持ちを考えると涙が出た。切なかった。 わたしが結婚した時、母から 実の父に、結婚式の招待状を出す?って聞かれたけど「なんでそん
(追記) こんなに反応があってびっくりしてます。 やっぱり自分は今でも人よりだいぶ抜けていたり苦手なことが多いので、しっかり勉強してきた人、きちんと仕事をしている人を本当に尊敬しています。文章も下手で恥ずかしい限りです。 大学入学前までは自分とその人たちの違いについて考えると消えたくなり、無気力になっていましたが、大学に入ってやりたいことを見つけて進むことができ、今は自分ができることをやるしかないと思うことができています。 ただ実務的な部分を評価され講師にはなったものの、自分のような人間が指導者の立場としてここにいてよいのか?ということについてはかなり自分でも思っているところで、匿名での授業アンケートを行ったり、他の先生に授業を見てもらう機会があった時には問題がないか伺ったり、かなり気にして見るようにしています。(評価されなければすぐ辞めるつもり) 紹介きっかけで採用試験を受けることになり
10年以上冷戦状態だった父親と喧嘩した。ら、タイトル通りのことを知ることになった。今後振り返ったときに実際に起こったことだけを認識できるよう残しとく。ただの喧嘩の記録。 当然だけど、精神疾患に対する批判や偏見の話ではないことだけは記しておく。不快になる方がいたら本当にごめんなさい。 喧嘩のきっかけは、30年近く続く父方の祖母の被害妄想と暴言が、ここ数年痴呆が進んだことでさらにひどくなり、毎日のように「10年間の生活費の1000万と盗んだ着物を返せ」と母に言うようになったこと。また、ここ1週間は、「〇〇(私)がメル◯リで私の着物を売ったからないんだ」と独り言を言うようになっていた。 同居して30年近く経つのになぜか期間はいつも10年間で、金額が日によって300万になったり700万になったり、そもそも生活費を出していたのは父なのになぜ母に言うのか、着物に至っては祖母が着ているのを誰も見たことが
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