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philosophyに関するhide-psyのブックマーク (13)

  • 三木清「人生論ノート」を再読して再発見した文章のベスト10 【後編】 - 何かのヒント

    新潮社のサイトでは「人生論ノート」は「大哲学者が説く、私たちの生き方指南。」と紹介されているが、あまり「生き方」を教えてくれるようなではないように思う。 人生論というよりは、物事の見方や受け止め方、考え方のヒントをくれるようななので、いっそのこと「考えるヒント」と改題しても通るのではないか。 では前回の続きで第七位。 感傷は制作的でなくて鑑賞的である。しかし私は感傷によつて何を鑑賞するのであらうか。物の中に入らないで私は物を鑑賞し得るであらうか。感傷において私は物を味つてゐるのでなく自分自身を味つてゐるのである。いな、正確にいふと、私は自分自身を味つてゐるのでさへなく、ただ感傷そのものを味つてゐるのである。(感傷について) たとえば短歌を作ると、すぐに感傷的な方向へと傾く癖のついている人がいて、何でもそういう色に染めてしまう。自分自身と同じくらい感傷は扱いにくい。 第六位。 風采や氣質

    三木清「人生論ノート」を再読して再発見した文章のベスト10 【後編】 - 何かのヒント
  • 甦るヴェイユ 吉本隆明の183講演 - ほぼ日刊イトイ新聞

    フリーアーカイブ 183回の講演、合計21746分の 吉隆明さんの声をここに集めました。 無料無期限で公開します。 いつでも自由に、何度でも、 お聞きください。

    甦るヴェイユ 吉本隆明の183講演 - ほぼ日刊イトイ新聞
  • 2010-08-16

    先日は某所のいくつかの箇所を散策してくる。散策したところについて、簡単な感想を記しておきます。 SIMK: ひどく狭い。もっと大きく広いところと思っていた。こんなに狭くていいのかな、という気がしてくる。 OS: こんな地形になっていたんだ、知らなかった。わが街の感覚からすると、とても不思議な感じ。地名の通りのところですね。 TMT: 裏手に回ると、ちょっと作り物のような感じがする。まぁ、実際作り物なのでしょうけれど…。何だか悲しい感じがしました。 RH: すごい人手です。正直に言うと、作った方について悪い話を聞いたことがあるため、私にはあまりいい印象を受けませんでした。 HTH: を読んでいると時々名前が出てくるので、気になったから来てみました。とても趣きがあります。 AKM: ここも思ったよりもかなり小さい。もっと大きくなかったかな? それに随分人がいる。 TST: 最初にこれが目に入

    2010-08-16
    hide-psy
    hide-psy 2015/07/23
    もっと意外な史実 - ヨーロッパ初の黒人哲学者
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 朝日出版社第二編集部ブログ

    第一章 暇と退屈の原理論 ――ウサギ狩りに行く人は当は何が欲しいのか?(承前) スヴェンセン『退屈の小さな哲学』今度は別の哲学者の退屈論を取り上げよう。章の冒頭で言及したスヴェンセンの『退屈の小さな哲学』である。 このは世界一五カ国で刊行された話題のである(日では邦訳が新書版で二〇〇五年に出版されたが、全く反響はなかった)。スヴェンセンはこのを専門的にならないように、いわばカジュアルなものとして書いたと言っている。確かに彼の口調は軽い。だが、その内容はほとんど退屈論の百科事典のようなものだ。もし退屈についての参考文献表が欲しいと思えば、このを読めばよい。参照している文献の量では、書はスヴェンセンのにはかなわない。 スヴェンセンの立場は明確である。退屈が人びとの悩み事となったのはロマン主義のせいだ――これが彼の答えである。 ロマン主義とは一八世紀にヨーロッパを中心に現れた思

  • The Red Diptych

    ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 The Red Diptych

  • (書評)國分功一郎「暇と退屈の倫理学」を読んで

    渡辺真也 「自分らしく、自分だけの生き方のルールを見つけること。」簡単な問いではあるが、皆が思い悩むことではないか。私自身も思春期から今に至るまで、それを見つけようと努力してきた様に思う。 この問いが暇と退屈の問題だと気付かなかった私は、答えを見つけるべく、がむしゃらに生きて来た。しかし哲学者である國分功一朗氏は、この問いが暇と退屈にどう向き合うのかという人類普遍の問題であることを指摘し、書ではこの問いをたてた等身大の自己に向かい合いながら、この答えを見つけて行こうと試みている。 この人生論であり、人生質をつかむ為の啓蒙書である。にもかかわらず、哲学書としては異例と言って良いほど読み易く、読み進めて行くうちに、あたかも著者と一緒にこの問題を考えているかの様な錯覚に捕われる。「自分らしく、自分だけの生き方のルールを見つけること。」その為にはどうしたら良いのだろう?と思い悩む全ての人

    (書評)國分功一郎「暇と退屈の倫理学」を読んで
  • 自殺の「罪深さ」はどこに由来するか - 今夜だけでもときめきたいんだ―TOkimeki_TOnightの日記

    自殺 | 00:26 | はてなブックマーク -自殺者、半期で1万7千人超…最悪ペース迫る : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)はてなブックマーク - はてなブックマーク -自殺者、半期で1万7千人超…最悪ペース迫る : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) まず始めに。自殺という問題に関しては多種多様な意見があって然るべきだと思います。以下に述べたことは、私の一意見だということを表明します。決して他の意見を持つ方を否定するものではありません。 id:md2takさん、いきなりお呼び出ししてすみません。「コミュニティの否定は罪である」「自殺という身体への裏切りは罪である」、という点についてひっかかりを覚えたので、考えたところを少しだけ……。さすがにもうメタブするのも限が無いので、こちらにて。*1 身体の構造と心-身関係、「身体への裏切り」についてid:md2

  • カント哲学について教えてください - OKWAVE

    補足拝見いたしました。 答えやすいところから。 理性と悟性については http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=748690 で回答していますから、そちらを見ていただければ、と思います。 とくに、「感性」「悟性」「理性」および「現象」「物自体」はカントを読んでいく上で最重要のキーワードですから、きちんと頭にいれておいてください。 >「汝の意思の格律が常に同じに普遍的立法の原則として妥当し得るように行動せよ」 むずかしいですね。もうちょっとわかりやすく言い換えてみましょう。 「あなたの意志の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行動しなさい」 この格律というのは、簡単に言ってしまえばポリシーです。 あなたの決めたポリシーが、いつ、いかなる場合でも、だれにも当てはまるように行動しなさい、と言っているわけです。 いつ、いかなる場合でも

    カント哲学について教えてください - OKWAVE
  • ダウンワード・パラダイス: もういちど、ポストモダンについて。(ニーチェ……「現代思想」の源流  補足)

    もういちど、ポストモダンについて。(ニーチェ……「現代思想」の源流  補足) Q&Aサイト「教えて! goo」の会員のなかに「ghostbuster」という方がおられる。どこかの大学で文学を講じていらっしゃるとお見受けするが、この方の解答がとても勉強になるのでよく見ている。 グーグルで「ニーチェ ポストモダン」と検索すると、「教えて! goo」の中のこの方の解答が1位にリストアップされる。http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1396521.html さすがにプロだけあって説明がうまい。簡潔にして的確。どうもぼくは文章がくどくどと長くなっていけない。ニーチェとポストモダンとの関係について、この方の説明はこうだ(要約)。 「ポスト・モダニズムとは、何よりもまず、モダニズム/近代性を批判的にとらえ、脱近代化を推し進めようとする理論の総称である。いっぽう、ポスト構造主義とは、学

  • ポストモダンとは何か?

    ポスト・モダニズムの領域であると一般的に言われるのは、建築・文学・思想の三領域です。 やはり「文化」に足場を置く概念の用語ですので、狭義の「ポスト・モダニズム」が「テクノロジー」を扱うことはないと思います。 たとえばリオタールは、市場のポストモダニズム、消費文化やマス・メディアのなかに現れる、理論抜きの、単なる様式としての「折衷主義」が存在することは認めているのですが、来的に、「リアリズムに対して挑戦する文学と芸術の様式」(キャサリン・ベルジー)がポスト・モダン性、ということになります。 ただ、未来永劫ないか、というと、そうもいえなくて、近代にアンチを唱え、「文化」という視座からテクノロジーを読み込んでいく解釈がありうるとしたら(具体的にはどんなものか想像もつかない、単に「可能性」としての話ですが)、ポスト・モダニズム的テクノロジー理論というのも登場するかと思います。 文学の領域では、リ

    ポストモダンとは何か?
  • http://www.phenomenology-japan.com/takeda/tetugakunotekt.htm

  • 疎外論 松尾匡のページ

    松尾匡のページ 用語解説:疎外論 共産党支配下のソ連や中国などでは、人間の解放を掲げる思想の名のもとに、何千万人もの罪もない人々が殺されていった。 かつての日軍国主義は、祖国と民族の誇りのために、多くの異民族を犠牲にしただけではあきたりず、特攻、バンザイ突撃、集団自決等々、何の戦闘効果もない無駄死にをすべての自国民に強要した。 今もなお、「正義」の名のもとに、「宗教」の名のもとに、「民族の誇り」の名のもとに、他人の命も自分の命も踏みにじる人々が絶えない。 そもそも、「考え方」「理念」「思い込み」「決まりごと」等々といったことは、どこにも物理的実体がない。生物的実体もどこにもない。ただ人間が頭の中で作りだした、人間の頭の中にだけあることにすぎない。 それなのに、これらの事どもは、一旦できあがると、それを作りだした生身の人間を勝手に離れて一人立ちしてしまう。そして、どこかにあたかも物理的実体

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