2016 - 02 - 03 節分に豆まいて歳の数だけ豆を食べても無病息災になれないたった一つの理由 日記 妄想 2月3日、今日は節分らしい。 先祖に天邪鬼がいるためか、天邪鬼としての血が騒いでしまい、そういう季節行事に対しては絶対に参加したくないという気持ちがある。大体そういう季節行事をこなして何が嬉しいのだ。年が明けてもおめでたいとも思わないし、ハッピークリスマスと言われてもハッピーな気持ちになるわけがない。何がハッピークリスマスだ。小学生の時、同級生たちがおもちゃやゲームをもらっていたのに、自分は鉛筆1ダースしか貰えなかった。その翌年は鉛筆削りだった。1年またぎのくせに微妙に繋がりがあるのがちょっとムカつくので、サンタの野郎だけは絶対に許してはおけないと子供心に思ったりした。 節分を正しく過ごせば健康が手に入る? 節分も許せないものの一つだ。節分というと豆をまいて、歳の数だけ豆を食べ
2016 - 02 - 02 「今日はやる気がないから明日から頑張る」という再帰的ワード 「 再帰 」という言葉がある。プログラミングを知らない人には馴染みがあまりないかもしれない。 再帰 - Wikipedia 再帰 (さいき)とは、あるものについて記述する際に、記述しているものそれ自身への参照が、その記述中にあらわれることをいう 合わせ鏡のように鏡Aを見た時にはAの中にもう一方の鏡Bが写しだされてるけど、Bの中にはAも写しだされていて…という堂々巡りのようなことを言う。AとBが鉢合わせたが最後、無限ループに陥る。プログラミングをする上ではこういう状況が簡単に記述できるし、またこれによって楽に解決できるような問題も多々ある。当然基本的には無限ループに入り込んでしまうので、無限ループから脱出する条件も記述するのが必須。合わせ鏡ならばAの中に写るBの鏡は実際のBよりも小さく写る。なので、Aと
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