※「うたの日」に書いた選評をサルベージしてみます。ブラウザにベタ書きしていたので。初出になかった改行を加えたり、誤字を訂正したりはしています。 シマウマのしまをくるくる取るように黒い下着を脱がせて欲しい /月丘ナイル くやしいけれど、「ああ、なんて可愛らしいんだろう」と思ってしまいました。作者が男性か女性か分かりませんが、異性愛男性読者として、このうたの主体を勝手に女性と決めつけたうえで、その小悪魔性というか、蠱惑的なふわふわした感じに、やられました。 (2017年9月16日『黒い下着』)
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サブカルチャー。この言葉を聞いて思い浮かべるものは、恐らく人によって様々だろう。ひとつの社会における主流文化に対して、その社会の一部の人々によって共有される副次的な文化……というような意味合いが、この言葉の一般的な使われ方ではある。 ただ、戦後日本社会においては、サブカルチャーという言葉はある独特のニュアンスのなかで用いられてきたと私は考える。一言で言ってしまえば、それは文化の脱歴史化・非政治化とでも言うべき、「脱臭化」のニュアンスである。 私=コメカと相方であるパンスとで構成される批評ユニット「TVOD」による初の著作『ポスト・サブカル 焼け跡派』は、時代を象徴する様々なミュージシャン・アーテイストに言及し、戦後日本のサブカルチャーを取り巻く文化的な精神史を描くことを試みた本だ。そしてその精神史の探求は、先述したような「脱臭化」の作法を活用し消費社会的状況を謳歌した日本が、いつの間にか「
死を想え、そして「生きよ」。 ラテン語のメメント・モリとは、「死を想え」という警句。東日本における震災と原発事故からずっと、何でもないような貌をして生きているのだが、「いま・ここ」で、自分の現実をしっかり生きることによって、死を想え、そして「生きよ」。という新たな感受性を立ち上げることができたらいいと思う。子どものいじめや、虐待、国土と人体への夥しい危機的状況。今の日本と日本の社会に大切なことは「命」という視座に立つということに尽きると思う。 1968年に出版された吉本隆明の『共同幻想論』が何故、当時の学生に熱狂的に支持されたのか。その時代を生きた人々は、団塊の世代と呼ばれた人々だった。彼らの魂に与えた影響は何だったのか。1968年という年は、5月10日に勃発したパリ5月革命に言及しなくてはならないだろう。(注:フランスのパリで行われたゼネストを主体とする民衆の反体制運動と、それに伴う政府
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