今年度(2021年度)は全4回の「俳句時評」を依頼されている。私はすでにあちこちで「日本の俳句は死んだ」と述べているのだし、いまさらドメスティックな文脈を掘り起こしてコメントをする、というスタイルの「時評」には関心もないし、書く気も起こらない。だから、「日本の俳句」の死後の・それ以降の・「日本の」という冠を外した・日本の文脈から自由な俳句作品を発掘して、論評したい。そうした作品をさしあたり「惑星的(planetary)」と形容することにする。internationalでもなく、globalでもない。「反グローバリゼーション」の含意をplanetaryにもたせて――敵の概念を上書きする意図で――用いたのはインド出身の文学者ガヤトリ・C・スピヴァクであった。 ここでの私の文脈を明確にするため、これまで断片的に書いてきたことをまとめておこう。たとえば私は昨年、次のように述べた。 「日本の俳句」は