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ブックマーク / booklog.kinokuniya.co.jp (4)

  • 東京大学(英米文学)・阿部公彦の書評ブログ : 『近代文学の終り』柄谷行人(インスクリプト)

    →紀伊國屋書店で購入 「柄谷ファンクラブをめぐって」 せっかく柄谷行人のものをとりあげるなら『探究I』とか『探究II』とか『トランスクリティーク』とか、あるいは『日近代文学の起源』など、堂々とそびえ立つ記念碑的な作品から選ぶべきなのかもしれないが、書後半に掲載された座談会中の次の一節に出くわして、このを話題にしてみたくなった。浅田彰や大澤真幸らを相手にNAM運動の失敗について振り返った部分である。 NAMがうまくいかなかった理由の一つは、まずインターネットのメーリングリストに依存しすぎたことです。(中略)もう一つは、運動に経験のある未知の人たちに会って組織すべきだったのに、僕の読者を集めちゃったわけね。インターネットでやればどうしてもそうなる。それで、柄谷ファンクラブみたいになってしまった(笑)。しかし、ファンクラブというのは実は互いに仲がわるいうえに、僕に対して別に従順ではなくて、

    東京大学(英米文学)・阿部公彦の書評ブログ : 『近代文学の終り』柄谷行人(インスクリプト)
  • 『FINAL FANTASY IXアルティマニア』Studio BentStuff(スクウェア・エニックス) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 出る。ついにあれが。オフィシャルアナウンスから1年以上、体感的にはもう3年は待たされている気がする、あれだ。 FF12。 媒体がROMからCD、DVDに遷移して以降、発売日の前々日から店頭に並ぶ必要はなくなった。今でも開店前から蓙を敷いている人はいるが、あれはまあ様式美の世界である。同様に、FFやDQが出るたびに会社を辞める人も(もちろんプレイ時間を確保するため。昔は当にいた)たぶんあまりいないのだろう。ブランド力自体も逓減しているのかなあ、とも思う。 でも、やっぱり楽しみである。今回はさんざん待たされた分、特に発売日を恋い焦がれる気持ちが強い。死ぬまでにあと何回FF発売日に立ち会えるか分からないが、この時代に産んでもらってほんとうによかったという感謝と感慨が五臓六腑に染み渡る瞬間である。 しかもFF9以来(で合ってましたっけ?)の松野チームの作品である。筆者はFF

    『FINAL FANTASY IXアルティマニア』Studio BentStuff(スクウェア・エニックス) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    hidex7777
    hidex7777 2006/03/17
    なお、のっぴきならない事情により、次回の更新は4月以降となります。申し訳ありません
  • 『ヘブライズム法思想の源流』鈴木 佳秀(創文社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「旧約聖書の謎解き」 旧約聖書の『申命記』でモーセが語る重要な言葉がある。「イスラエルよ、聞け。われわれの神ヤハウェは唯一なるヤハウェである。あなたはあなたの心を尽くし、精神を尽くして、力を尽くして、あなたの神ヤハウェを愛さなければならない」(六章四~五節)というものである。 このモーセの言葉は奇妙な謎にみちている。相手に向かって「イスラエル」という三人称的な言葉で呼び掛けながら、すぐに「われわれの」神という一人称の複数に転換する。そして「あなたは」という二人称の単数に切り替わるからだ。この人称の単数と複数、一人称と二人称、三人称の転換は以前からさまざまな議論の対象となってきた。 この書物ではヘブライの法思想を当時のオリエント世界の法律と比較する考察など、示唆に富む考察も多いが、何よりもこの謎を解くことに力をいれており、この謎の解明が書の山場でもある。 まず著者はこ

    『ヘブライズム法思想の源流』鈴木 佳秀(創文社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 哲学者・翻訳家・中山元の書評ブログ: 『開かれ 人間と動物』アガンベン(平凡社)

    →紀伊國屋書店で購入 「剥き出しの生を作るマシン」 人間は動物とどこまで異なるか。この問いはドイツの哲学的な人間学の中心的なテーマだった。しかしよく考えるとこの問いは奇妙である。人間が動物ではないかのように、人間と動物を対立させる。カテゴリーとして考えるならば、動物は植物や鉱物と対比して考えるべきだろう。来は動物の一つの種にすぎない人間を、動物そのものと(まるで動物という種が存在するかのように)対比させるのはカテゴリー・ミステークとしか言わざるをえないのだ(文学全集で世界文学と日文学が分けて分類されているのと同じようなおかしみを感じることもできる)。 これでもこの問いは哲学的に多くの問いと答えを引きずっている。この問いには、アリストテレス風に言語の利用によって答えるか、動物行動学的に道具の利用で答えるか、哲学的人間学的に象徴の利用で答えるか、生物学的に、人間が生まれた瞬間から自立して生

    哲学者・翻訳家・中山元の書評ブログ: 『開かれ 人間と動物』アガンベン(平凡社)
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