日清戦役・日露戦役は、発展途上国だった日本が、かろうじて勝利した自衛戦争だった。国民すべてが一丸となり国難に立ち向かったのである。 日清戦で手に入れたた戦利品は、講和後に組織された「陸軍戦利品整理委員会」によって区分され、必要のないものは参考品・記念品として各方面に献納または払い下げられた。 民間への下附品目では砲弾が最も多く、約8700個が下附された。整理委員会から各府県に一括して送付され、それを府県知事が管内の各施設に分与するという段取りで行われた。おおむね神社、仏閣、学校、役場、博物館といったところ。 日露戦のあとでは、明治39年に陸軍だけで「戦利兵器奉納ノ記」という文書とともに23170箇所の神社などに砲弾が配付されている。 それこそ「坂の上の雲」を目指していたころの日本が、外国の植民地にされないため、国民が一枚岩となって国難に打ち勝った記念品として各所に置かれたのである。 これに
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