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ブックマーク / blog.miraclelinux.com (4)

  • ユメのチカラ: 独立行政法人情報処理推進機構へ出向になりました。

    ユメのチカラ インターネットの時代になって、地球規模の知恵の集積が 可能になった。ソフトウェア開発においてもオープンソースソフトウェアのバザール的開発が注目されている。いまおきているその現実を現場の視点から記していきたい。 吉岡 弘隆 - よしおか ひろたか 日OSS推進フォーラム ステアリングコミッティ委員 OSDL Board of Directorsを歴任 カーネル読書会主宰 2000年6月、ミラクル・リナックスの創業に参加。 95年~98年、米国OracleにてOracle RDBMSの開発をおこなっていた。 98年にNetscapeのソースコード公開(Mozilla)に衝撃をうけ、オープンソースの世界に飛びこみ、ついには会社も立ち上げてしまう。 2008年6月取締役CTOを退任し一プログラマとなった。

    higepon
    higepon 2009/03/02
    うお。そう来たか。
  • ユメのチカラ: 取締役退任。生涯一プログラマ宣言。

    6月30日臨時株主総会において、ミラクル・リナックス株式会社の新取締役として、児玉崇、伊東達雄を選任し、それに続く、取締役会議により、新しい代表取締役として児玉崇を選任した。佐藤武前代表取締役社長は、取締役会長へ、わたしは取締役を退任した。 ここにご報告する。 さて、ここからが題(?)である。取締役を退任したからといってミラクル・リナックスを辞めるわけではない。今後は経営者という責任ある立場を退き一技術者としてミラクル・リナックスに貢献していく。 2000年6月にミラクル・リナックスを創業以来8年にわたって取締役CTOとしてミラクル・リナックスとともに歩んできたが、取締役というよりも、技術屋としてミラクル・リナックスのV1.0の開発、OSDL (Open Source Development Lab -- The Linux FOundationの前身)への参画、そしてAsianuxプロ

    higepon
    higepon 2008/07/01
    僕もこうなれるのだろうか。貫きたい。いつかどこかでその思いを聞いてみたい。
  • ユメのチカラ: ハッカー倫理

    実のところ60年代、70年代にMITにいたわけではないので直接見聞きしたわけではないのだが当時のMITの研究室にたむろっていてプログラマ達に暗黙のうちに了解されていた哲学、倫理、あるいは夢みたいなものがハッカー倫理とよばれるものだ。 スティーブン・レビー「 ハッカーズ」で次のように記している。 コンピュータへのアクセス、加えて、何であれ、世界の機能の仕方について教えてくれるものへのアクセスは無制限かつ全面的でなければならない。実地体験の要求を決っして拒んではならない。 すべての情報は自由に利用できなければならない。 権威を信用するな--反中央集権を進めよう。 ハッカーは、学歴、年齢、人種、地位のような、まやかしの基準ではなく、そのハッキングによって判断されなければならない。 芸術や美をコンピュータで作り出すことは可能である。 コンピュータは人生をよいほうに変えうる。 フリーソフトウェアある

    higepon
    higepon 2007/09/07
  • ユメのチカラ: プロセスプログラミングの実践方法

    学ぶ方法を学ぶことは重要だ。知識は陳腐化する。しかし、学ぶ方法というのは、道具立てが変わってもかなり安定的で変化は少ない。 インターネットのおかげで確かに知識の取得方法は劇的に変化した。量的な変化が質的な変化に転換した。なんでもかんでもインターネットで検索してからことをはじめるという感じになってしまった。あんまりじっくり考える機会がなくなったような気がしないでもない。 かつてプロセスプログラミングと言う概念が流行った。最近ではあんまり言わないがソフトウェア開発の究極の姿だと言われた。ソフトウェアは人が作るのだが(当たり前だけど)、そのプロセスを厳密に記述していければ、つまりコンピュータが理解可能なくらい精密に記述できれば、ソフトウェア作製も自動化できるのではないかというアイデアである。随分荒唐無稽なことを言うとあなたは思うかもしれないがあながち夢物語ではない。 例えば、ソフトウェア開発では

    higepon
    higepon 2006/07/22
    自分であれこれでバッグ方法を身につけてから雑誌でまとめ記事を読んで愕然とした覚えがあります。(あまりに自分が再発明気味だったので)
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