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ガンダムと観に関するhighcampusのブックマーク (6)

  • ガンダム THE ORIGIN 最終回が悲しかった。 - 玖足手帖-アニメブログ-

    機動戦士ガンダム ジ・オリジンを全部読み終わった。 今までは月刊ガンダムエースの発売日にはORIGINを読んで無かったし感想も書いてなかったが、今日は屋に寄って珍しく当日購入したので、最終回まで読んで、後半とアニメ化発表をまとめて感想する。 機動戦士ガンダムTHE ORIGINのアニメ化やガンダムAGEや庵野秀明編集の安彦良和原画集も気になったしね。 安彦良和さんの漫画ならではの新要素と、達者な絵心で、「最初」のアニメのガンダムでは、安彦さんの言うように描写が不足していた所を付け足し、つじつまを合わせようとした意図は分かる。が、コアブロックやニュータイプや挿入歌は漫画ならではの付け足しを自分で無視してアニメのそのままをツギハギで入れている。各キャラクターの感情や、作劇としてのリズムやコンティニュイティがブツ切れで、コミカライズとしては充分なレベルとして絵は綺麗だが、「最初」のアニメのガン

    ガンダム THE ORIGIN 最終回が悲しかった。 - 玖足手帖-アニメブログ-
    highcampus
    highcampus 2011/06/28
    "コミカライズとしては充分なレベルとして絵は綺麗だが、「最初」のアニメのガンダムに在った高揚も充実感も感じなかった" "富野も良いけど大槍の尻は芸術だと思う" 「密会 アムロとララァ」は確かに面白い
  • Vガンダムを見てる - orangestarの雑記

    以前、リアルタイムで観た時以来かなあちゃんと全話通じてみるのは。というわけでいくつか思った事をだらだらと。 オデロかっこいい。というか兄貴ほど兄貴。 オデロがとてもいい兄貴。というか、兄貴の仕事って兄貴カゼをふかせるって事だと思うんですよ、カミナにしろ何にしろ。実際のパイロットとしての能力とか、他の能力とかはウッソの方が上だけど、そういうのは別として、オデロが兄貴カゼふかしてるからリガミリティアの子ども組がうまく機能してる、って感はある。空港で、両親の事を聞きまくるウッソに対して、「スージー達のことも考えろ!」っていってウッソを殴ったりとか、そのあとで〜〜に行けばいいんじゃねえの?ってウッソをフォローしたり。兄貴だ。で、兄貴って、兄貴である為にいつも無理してるところってあって、それが、最終話散り際に思う事が、母と父のことというのが。 他のガンダムと違って、戦争全体の話ではなく、戦争に巻き込

    Vガンダムを見てる - orangestarの雑記
  • Vガンダム感想、または何故オデロはカテジナに「ウーイックの嬢ちゃんは嬢ちゃんをやってりゃいいんだ!」っていったのか - orangestarの雑記

    そしてまた、オデロの死に際だけ、「母ちゃん、父ちゃん〜」っていうモノローグが入ったのか。 カテジナ論を語るところで語りつくされてる感はありますが、カテジナに対して一番言ってはいけない言葉っていうのが、件の 「ウーイックの嬢ちゃんは嬢ちゃんをやってりゃいいんだ!」なんですよね。カテジナは、なんかズブズブとゆっくり腐っていく世界と価値観の中で、自分以外の“なにか”になりたくて(でもそれが何かは明確に自分でも分かっていない)もがいてる人だから。“嬢ちゃんをやってりゃいいんだ”発言はカテジナ全否定ですよ、そりゃ殺されるよ。 そして、それを言うのが、なぜオデロでなくてはならなかったのか、そしてオデロが死んでいく時の、 …母ちゃん、俺のこと…褒めてくれるのか。父ちゃん、ずっと俺のこと嫌い……、嫌いじゃなかった?ほ、当かよ。う、うわあああーーっ! っつー台詞に関してですが。 オデロっていうのは、“兄貴

    Vガンダム感想、または何故オデロはカテジナに「ウーイックの嬢ちゃんは嬢ちゃんをやってりゃいいんだ!」っていったのか - orangestarの雑記
  • 惑星の午後、僕らはキスをして、月は僕らを見なかった。<『∀ガンダム』最終話「黄金の秋」より>

    twitterではさまざまな話題が流れてくるので、きっかけをもらえるのは腰の重い私にはとてもありがたい。この記事は、すばらしい『∀ガンダム』語りに触発されて、twitter上でつぶやいたものを仕立てなおしたものです。 『∀ガンダム』最終話エピローグの、さらに限られたわずかな場面についてだけのお話。 『∀ガンダム』のラストは、『月の繭』が流れる中で展開される奇跡的なエピローグ。 その中で、月の女王ディアナ・ソレルと静かな生活を送ることになるロラン・セアックと、彼が仕えるハイム家のお嬢さんソシエ・ハイムとの別れが描かれる。 ちょっと参照として、YouTubeで動画を探してみた。 ※あくまですでに見た方への確認用として。未見の方はここだけ見ても無意味なので編を見ましょう。 冬の雪夜の別れのシーン。 ハイム家の門前に停まっている車と2人の人影。 ひとりは、別れを告げにきたロラン。 もうひとりは、

  • 女の子がすきそうなモビルスーツ:アルファルファモザイク

  • 現実認知の繰り返しはファーストガンダムからと - 玖足手帖-アニメブログ-

    劇場版ファーストガンダムを劇場で一気に見て気づいた事のは、機動戦士Zガンダムテレビ版の雰囲気はある意味し方がなかったと言う事。 と、言うのは、現実認知の物語としては機動戦士ガンダムでも同様に行なわれていたからだ。 ただ、ラストの雰囲気が違うだけで。 つまり、「求めた物は手に入りません」と言う事の繰り返しなんだなあ。それでも求めつづける。 「あこがれたって 何になる 居はしないのさ そんな人 今日はひとり 風にのる そして あしたは きっと なぐさめあって 何になる 居はしないのさ そんな人 今日はひとり 風が吹く そして あしたは きっと」 ある意味、あしたのジョーみたいなアムロ・レイ。 なんというか、アムロは自己肯定感を求めつづけて、何度も肩透かしに会ったり直前でワヤにされたりするんだよね。ここらへんは、エヴァンゲリオンにも似ているかも。 順を追って言うと テムに放って置かれ、機械いじ

    highcampus
    highcampus 2007/12/06
    なるほどなー久しぶりにまともなガンダム観、ガンダム論を読んだ。
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