タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

文学と観に関するhighcampusのブックマーク (1)

  • 付け加えなければならないこと - 旧tototo

    自分としては気楽になってしまったのだが、それによって取り戻せなくなったことについて。 小説というのは、表現の自由のための道具というよりは、個人の主張を潰すための道具だと思っている。 小説の枠の中でしか、作家性という名前の、個人を発見してはいけない、という約束事がある。 小説の中で個人を発見しておけば、その個人としての相手に対応しなくて済む。現実じゃないからね。 小説という、反論しないサンドバックを使って、個人を殴りたいだけ殴る。そういう目的のために作家名があり、作家性が語られる。 伊藤計劃という人の名前の使われ方が、僕には、どう見ても、「死人に口なし」とかさにかかって、伊藤計劃という個人と対決せずに、彼を嬲っているようにしか見えない。 昔、エロゲでカントとか使って論じる人たちがいて、彼らの発言を見て思ったのは「カントはエロゲなんかプレイしていないのに、さもカントがエロゲをプレイした上でエロ

    付け加えなければならないこと - 旧tototo
    highcampus
    highcampus 2013/09/10
    "伊藤計劃という名前を見ていると、そこにまた「エロゲをプレイせずにエロゲ論を語るカント」がいる、と感じる。"
  • 1