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ブックマーク / tsukimori.sakura.ne.jp (3)

  • 森の路はずれ | ヒロインに好かれたい――ジャンルの起源・プレイヤーの原質

    そもそも、ぼくには「自分に好意を寄せてほしい」という欲望はないと思う。エロゲはプレイするけれども、別にエロゲのキャラクタと恋愛したいわけではない。 そしてぼくはとくに自分が少数派だとは思わない。ぼくみたいな人間はたくさんいると考える。「オタクは皆美少女キャラに好かれたがっている」というのは、やはり極論だろう。(Something Orangeさん) なんというか、エロゲーのヒロインに好かれたいとは思っていない、そうさっぱり断定してしまえるというのは、個人的にちょっと寂しいなあと思った次第であります。 エロゲーというものがゲームであり、ゲームであるのならプレイヤー個々人のプレイ動機というものが発生するでしょう。プレイヤーは何を目的としてエロゲーをプレイしているのかといえば、小説映画のようにただ純粋に読みたい、鑑賞したいというとりたてて意識するほどのこともない純然たる動機があるのは当然にして

  • 森の路はずれ - 「ToHeart」を好きになれない理由がわかった

    僕は「ToHeart」という作品があまり好きではありません。 とはいえ明確な理由はわからなかったし、ひどくつまらないというほどでもないんだけど、でもネットで話題になったり二次創作が往年盛り上がり続けているほど面白いとはとても思えないのです。「ToHeart」はPS版を中古で買ってプレイして、すぐ売り払ったし、「ToHeart2」もPS2版をやっぱり中古で買ってプレイして、すぐ売り払ってしまいました。 よっぽど暇ならプレイを続けて、なし崩し的にコンプリートまでたどり着けたかもしれないけれど、大した面白みも感じないギャルゲーをだらだらと続けていると、ギャルゲーをプレイするということそのものに飽いて、嫌いになってしまいそうで、だから僕はプレイを止めちゃいます。 ギャルゲーが好きなら、好きでいたいのならつまらない作品は素直に中止すべきなのかもしれないと、最近の僕はよく考えています。つまらない作

  • 森の路はずれ - 破綻から再生へ、狂気から陳腐へ、ありふれてゆく物語――「俺たちに翼はない」評

    ミラーハウスってあるじゃないですか。いや、今もあるのかは知らないけれど。遊園地のアトラクションのひとつで、たくさんの鏡が壁のように張り巡らされた迷路の小部屋。 「俺たちに翼はない」という作品は、いうなれば、青春群像という名のミラーハウスに迷い込んだ主人公たちが、己ら自身という鏡に映り込んでくる僕(プレイヤー)と形而上の対話をする、ずいぶん風変わりな"仕掛け"だと思いました。 この作品を好きになれるかどうかは、第一に、鏡に映った自分をどう見るか(そもそも見るのか見ないのか)ということに尽きるのかもしれないなあ。 まずプレイヤーは、主人公という鏡に頭をぶつけるところから始まります。形而上のこととはいえ"痛い"かもしれませんね。でも鏡があること(鏡であること)、鏡を向けていることを彼らは最初に教えてくれ、以降もあらゆる場面・方法・メディアで作品側は――主に人をおちょくったような親しみやすさを

    highcampus
    highcampus 2011/05/19
    俺つば/"この作品を好きになれるかどうかは、鏡に映った自分をどう見るか――"/グッドレビュー
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