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ブックマーク / www5e.biglobe.ne.jp/~lycoris (1)

  • ヒガンバナの民俗・文化誌

    何処で初めてヒガンバナを見たのか、その名を覚えたのは何時なのか、残念ながら少しも記憶に残っていない。とはいえ、小学生になったころには、すでにこの植物を知っていたことはたしかだ。昭和19年の秋、日帝国海軍牧之原飛行場を襲ったグラマンの1機が、対空砲火に被弾し、豊かに実った稲田に墜落炎上した。散乱した機体と黒焦げの肉塊と、それらを取り囲んだ、燃え盛る火のように赤い畦道のヒガンバナが、いまも脳裏に焼き付いている。 もちろん、このような特異な状況での出会いはこのとき限りである。戦いに敗れた後の、平和の訪れた日では、秋の彼岸が来るごとにヒガンバナは何事もなかったように咲いた。黄金色の稲穂の波打つ水田の際や、村のはずれの古寺の参道や、小川の土手などに、まるで篝火を連ねたようにこの真紅の花が咲くと、日列島は秋霖の季節を迎えるのである。 とはいえ、水田耕作が機械化され、畦や農道が改修され、市街化が進

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