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ブックマーク / ilidim.hatenadiary.org (6)

  • ハーレムラブコメの資本論 - 地質学的変動

    一対一の恋愛を規範とする保守的な恋愛観からすればハーレムはシンプルに浮気であり、倫理的に認められるはずもないものだ。しかし、人はある意味で間違っているとわかっていることをなおすることができる。そこには別の正しさが存在するからだ。だから効果的な批判をするためにはまず相手のロジックを把握する必要がある。 一対一で恋愛関係を結ぶことはお互いの欲望を交換する契約が成立すると言い換えられる。しかし告白は受け入れられるかもしれないし、拒絶されるかもしれない。勇気を必要とする運命的な出来事だ。 しかし契約が頻繁に行われると次第に成立するのが当たり前になっていき、あのドキドキは失われてしまう。 経済にたとえるとこれは貨幣の成立に似ている。一対一の物々交換から、一対多の貨幣経済へ。このとき貨幣の役割を果たし、他のものすべてのとの交換が可能なのがハーレム主人公である。このときヒロインは商品となる。商品はみな欲

    ハーレムラブコメの資本論 - 地質学的変動
    highcampus
    highcampus 2011/09/10
    "一対一の物々交換から、一対多の貨幣経済へ。このとき貨幣の役割を果たし、他のものすべてのとの交換が可能なのがハーレム主人公である。このときヒロインは商品となる。"
  • ヒロイン・オリエンテッドなエロゲの構築 - 地質学的変動

    みたいな話を考えていたことを思い出したのでメモ。 答えから言うと、「ヒロイン一人」ならいい。世界にきみしかいなければきみより大事なモノはない。ヒロインがふたり以上いると交換可能になって欠かせないと思えなくなってむしろ不変の主人公が一番大事だということになる。 トゥルーヒロインの格。最後に位置するだけでは十分でなくて、『DRAGON QUEST Ⅴ』のメインヒロインはゲマなどと言われてしまう。ラスボスが見えてると途中のボスはすべて過程に過ぎなくなるし、見えてないとラスボスがぽっと出になる(田中ロミオの某作品とか某作品)。インフレさせてけばよいが、失敗するとそこからは蛇足になってしまう(『北斗の拳』のメインヒロインは〜)。というのはバトルものの話で、ヒロインはみんな同じようにかわいい(人間がみんなかわいいように)のであって、トゥルーヒロインを引き立たせるためにそれ以外のヒロインはわざとかわいさ

    ヒロイン・オリエンテッドなエロゲの構築 - 地質学的変動
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    highcampus 2011/08/16
    "天はヒロインの上にヒロインを造らず。"
  • 2011-04-29 ‐ 地質学的変動

    ヒロインがたくさんいて同列の扱いでそれぞれ個別にイベントを起こしてページを割いていると、まあプロットが散漫になりやすいだろう。一方メインヒロインをしっかり決めてたらなんか一貫しているように見えやすいと考えられる。しかしサブヒロインが明確にメインヒロインの下に置かれるとかわいそうなのであまりよろしくない。 そのような理論的背景を持って『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』を読むと、メインヒロインはタイトルにも表れているように絶対的に桐乃である。加えてサブヒロインとして黒とかがいる、という形になる。メインヒロインが桐乃ということは全体を桐乃攻略の過程と捉えることができるはずだが、桐乃はそもそも兄のことが嫌いな妹というキャラクターであり、そこから作品全体が始まっている以上、作品が続くためには桐乃と京介の関係が進展することは許されず、その危機の瞬間はできるだけ迂回され引き伸ばされていく。つまり間接

    2011-04-29 ‐ 地質学的変動
    highcampus
    highcampus 2011/05/02
    "メインヒロイン支配による一貫性とサブヒロインによる多様性を両立するものとして、『俺妹』ではサブヒロインの背後にいるメインヒロインを攻略する、あるいはメインヒロインの代理としてサブヒロインを攻略する"
  • 2011-04-08 ‐ 地質学的変動

    アニメ『花咲くいろは』1話を見て『満月をさがして』のおばあちゃんを思い出したり。 文月さんはツンデレと言っていいのだろうけど娘が生きているうちには結局デレられなかった。 そういうことは結構リアルにあることだと思う。親子関係ほどシビアでなくとも、長い時間の間に嫌悪を忘れて、でも和解する機会もなくてそのままになってしまうこと。だいたい人生分かれる人のほうが圧倒的に多いのだ。 長い間デレないツンデレに比べれば理不尽な暴力を振るうツンデレとかかわいいものだ。 ツンデレの強度を測るには最高到達点・期間・総量の三つの基準があるが、期間を短くしようとすると行動は過激になる。 ギャルゲーでルート毎の長さは大体一緒なのでどんな性格の娘でも(毎朝起こしてくれる幼なじみだろうが殺そうとしてくる相手だろうが)攻略するまでの所要時間はあまり変わらなくて落としやすさはあまり変わらないという…むしろ変化の幅が大きいツン

    2011-04-08 ‐ 地質学的変動
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    highcampus 2011/04/09
    美少女/"暴力的だったり毒舌だったりする人は難易度を体の外に出せるので体の中にたまらなくて色々楽だ。御坂美琴の圧倒的ちょろさは彼女がもやもやとかリビドーとかを超電磁砲として打ち出せることに由来する"
  • ゼロ年代美少女ゲーム論やりたいなあ - 地質学的変動

    僕は「リトルバスターズ!」を作品として評価していない。しかしこの作品はやはり偉大であるといわざるを得ない。この作品はそれまでのKeyの作品と多くの面で異なっている。たとえば主人公の直枝理樹(この名前と久弥直樹の関連性というのは無理があるとしても捨てがたい)に声がついている。KeyはもともとCVに消極的なブランドではあったが、「主人公以外フルボイス」などという奇妙な事態がまかり通る世の中にあって主人公に声がついていることの意味は小さくない。しかし理樹の台詞すべてに声がついているわけではなく、主に理樹以外が視点人物となっているときに彼の顔グラとともに声がつく。彼の顔もきわめて重要なポイントである。主人公はプレイヤーが同一化するべき空虚な器だから無色透明であり顔は描かれないというのが「常識」であるが、理樹ははっきりと顔を持ったキャラとして描かれるし、その顔はショタ的である。となれば彼は当然のごと

    ゼロ年代美少女ゲーム論やりたいなあ - 地質学的変動
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    highcampus 2010/08/24
    リトルバスターズ!とか
  • 偽史 - 地質学的変動

    かつて、「純愛対鬼畜」という今では痕跡すら残らないひとつの戦いがあった。僕はそれを見ていた。つまりはゲームジャンルの好みを巡る争いであり、もちろんそれだけではなかった。僕たちが唯一持ち得たイデオロギー闘争だった。大きな物語の失効、不可能性の時代、その意味するところは戦う根拠の喪失だ。僕らは闘争から疎外されている。選挙でどこに投票しようが何もかわりはないしネットでのウヨサヨ論議など自傷自慰でしかない。イデオロギーはここでの想いが彼方へと届くことを前提とする。純愛や鬼畜とは単なるジャンルではなく世界観だった。ギャルゲーとは世界観を表象する武器だった。 そこにKeyが舞い降りた。 人はそれに惹きつけられ、あるいは拒絶した。それは結局同じことであり、人間を、真を善を美を越えた崇高への戸惑いだった。人には理解出来ないそれに何らかの態度をとらなくてはいけないとき人の判断はほとんど偶然でしかない。しかし

    偽史 - 地質学的変動
    highcampus
    highcampus 2010/04/28
    "純愛対鬼畜"/"鬼畜ゲーの訴えているのは、人間に人格は確かに存在し、それは多大な労力を払って踏みにじるに値するもの、すべてを賭けて手に入れるべき尊いものだということだった。それに対してKeyに魅せられた人々"
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