PDF版は電子書籍のような形で読めます。 指先の微熱、ほんの少し角張った第二関節。絡まっていた指がほどけたときの静かな寂しさと、またすぐに僕の指を手繰ろうとする触り。たとえ目を閉じていようとも、何の欠落もなく完璧に伝わってくる。それが不意であることは一度もない。僕は幸せだ。 何も間違っていない。僕は愛情で満たされた浴槽に浸かっている。いつか誰かにこの温かさを譲らなくてはならないときが、あるいはもう浸かり続けることに耐えられなくなってしまったときが訪れようとも、きっと正しかったと思うだろう。 ひとり用の浴槽。かじかんだ爪先と指先を温めてくれる、僕だけのものだ。けれど、僕は形のない何かに怯えて、何かというものが形を持たないせいで、その浴槽に浸かりながらもふと栓を抜いてしまう。まだここにいても良いのにもかかわらず。お湯が全部抜けたあと、空っぽの浴槽で僕はひどく安堵する。 不安。不安を感じるのは、
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