自分の物理的な(自分以外のものとの)境界というのはこの身ひとつなわけだけど、 社会的に、概念的に、どこまでを「自己」とするかは、 人は適宜決めている。 学問的にどういう言い方をするのか知らないけど、 精神は自由であるので、「自己」というその定義を、 自分の物理的な境界を越えて、他者や家族や組織やコミュニティに 結構フレキシブルに拡張している。 自己の拡張、というと説明しづらいので、もうちょい大きい、 家族という概念の拡張について例をいうと、 いわゆる血の繋がっていたり戸籍が繋がっている家族以外に ある部族が丸ごと大家族という認識だったり、 田舎のある地域が家族同然だったり、 社員はみんな家族だという認識の社長がいたり。 人がほかの人を単なる他人ではなく「家族」という認識をした場合に 何が起こるかというと、 まず心を許す。 親しき仲にも礼儀ありなんて恐ろしい心の構えがなくなる。 損得の勘定を