鞆の浦判決がポニョ関係で話題といえば話題だが特に関心を引くものでもないようだ。外部要因も大きいが、「政権交代不況」が可視になりつつある。 他、話題は散漫。
とんでもない本だった。 いや、トンデモ本ではない。すごい本というのとも違う。村上春樹の小説なんかに近い文体とテーマでもある。 総じて呆れた。こういうやつがいるんだなぁというか。 自分はタレブほどではないが、世界を変なふうに考えるのだけど、タレブのほうは筋金入りの変だった。 というか、これは、シリアの正教徒的というのか、とにかく私たちが現代社会普通に目にするタイプの知性ではなくて、古典の知性だ。ギリシア哲学とかに近い。 数学的にはというか、哲学的には、人口に膾炙された「ブラック・スワン」の問題というより、ベルカーブではないランダム性の持つ必然というあたりだろう。ということで、マンデルブロ的な安定分布の変異なのだろうが、つまり、それすらもわからないこともあるというのが世界認識の前提なわけか。 私はブラック-ショールズ方程式とか理解できないのだが、その前提がベルカーブだとしたら、それは必然的にブ
9.16⇒花王が「エコナ」全製品を販売自粛 9月17日から - MSN産経ニュース 花王は16日、特定保健用食品「エコナ」シリーズ全商品について、17日に出荷を停止し、販売を自粛すると発表した。対象は、食用油やマヨネーズ、ドレッシングオイルなどシリーズ46商品と、同商品を使ったドッグフード13商品を合わせた計59商品。 商品に「グリシドール脂肪酸エステル」が多く含まれ、発がん性のある「グリシドール」という物質に分解される可能性があるため。同社では、「安全性に問題はない」としているが、グリシドールに分解されるメカニズムや可能性がよく分かっておらず、欧州を中心にグリシドール脂肪酸エステルの安全性を懸念する声が高まっていることから、販売を見合わせることにした。 9.11⇒消費者庁に「エコナ問題」めぐり初の要望書=主婦連合会 : 消費者庁に「エコナ問題」めぐり初の要望書=主婦連合会 消費者団体「主
九月になった。自公政権の終焉が夏とともに終わるというのは日本人の季節感からするとキリがよいというべきだろうか。小沢はかねがね一度政権交代を体験したらそのよさがわかりますよと言っていた。わかる秋の日となるだろうか。ならないような気がするが、この奇蹟のような手品をやってのけたのだからとつい期待する魔力が彼にはある。彼が自民を割って、そして自由党で小さな政党になったとき、政策政党であればよいのだと熱弁したとき、ああ、そうか、それはそうだと思ったものだった。多くの人が彼のもとを去り、北京が去らないのを横目で見ながら、これは長期的には中国人の目が正しいだろうなと思ったものだった。むしろマスメディアの毀誉褒貶があるなら、じっと彼を軸に見ていこうと思った。民主党でも乾されてもう引退かなと思ったが出てきた。自分と比較するのはおこがましいが、私は小沢に民主主義というものの理解で負けたなと思った。しかし、なん
そういう視点もあったかと啓発されるような視点はなし。その意味では、特になし。 小泉チルドレンを小泉は突き放したが、小沢チルドレンを小沢は先兵として使い回すだろう。政治家を育てるという点ではよいことだともいえるが、紅衛兵化していくのではないかな。GHQ紅衛兵が疎外された形で反米の紅衛兵化するというのは、ナショナリズムというのがどれほど根深い問題かを示している。というか、ナショナリズムが問題なのは、表層の記号の問題ではないのだが。
夏バテというほどバテてもいながまあバテ。時間があれば、いくつか本を読み、映画など見る。いろいろ思うことがあるがまとまらない。夢は見た。同窓生にあって、メール知らせてくれるっていったじゃないのとか責められるというシーンがあった。懐かしい人が幾人か出てきた。恋愛とかの関係はすっかりない。昔栗本慎一郎が若いときの恋愛のことはすっかり忘れたと言っていたが、まあ、すっかりに含蓄があるにせよ、忘れるものは忘れるというか、別のなにかに置き換わる。私はあまり多くの女性と知り合う人生ではなかった。宮台真司さんなどたくさんの人とおセックスしただったか、なにかすごい噂を聞いたことがあるが、そのあたりでわからんなと思う。ちょっと人間を見る遠近感が違うようだが、そういうなんか他人ってさっぱりわからんなと思う感じはある。以前、お前処女厨だろみたいなこと言われたが、それはない。ただ、相手が多数の男性経験者で自分に関わる
もう昔ということになるが、お笑いオンステージで三波伸介が満点パパというのをやっていた。 ウィキペディアを見ると、1972年4月8日から1982年4月4日まで放送とある。10年やっていたのかと思う。というか、私の思春期から青春期をカバーしていた。 先日、ドライブしていて、ふと、あのパパたちは今の私どころの年齢ではないぞ、若いぞと思った。子どもたちは10歳ほどではないか。当時は25歳くらいには結婚しているから、パパたちは30代半ばではないか。 そういえば三波は早世だったな、いくつかと調べて、52歳であると気がついた。「びっくりしたなあ、もう!」 泣けるな。死因は解離性大動脈瘤破裂だったともある。無茶な芸がたたったことはたしかだ。早野凡平も50歳で癌なくなったが、やはり芸がたたったという印象がある。 今思うと、命を削るような芸だったし、あのなかに大衆というものがあった。大衆がその意識を芸人に顕す
天気図を見ながら夏ってこうか?と思っている。まあでも昨晩は蒸し暑い。夕涼みに出ると、この時期は人もまばらだ。ぶらっとモスバーガーで照り焼きを食ったらまずかった。いや文句を言っているのはなく昔からこんな味なんだろう。自分が変わったなと思った。コーラもまずかった。デフォで合成甘味料じゃないか、この変な味は。しかし、これも自分の側の好みの問題だろう。価格が微妙にというか上がっている印象はあった。夢は覚えていない。山城新伍が死んだと聞いた。気になっていたのだが、ああ、死んだか。白馬童子も70歳か。メディアというのは人の老いの感覚を変えさせられる。彼はモテた人だった。よ、色男、といった人生でもあった。多数の女と関係して老いていく男というのは、私にはよくわからないなと思う。まあ、私のようにわからんなと思うモテない男が大半だろうし、考えても無意味なことだが、気にはなるな。というのは、女というのは、他の女
人生は不思議だなと思うことが多くなった。自分はいつまでも少年のときの記憶というのでもないが、意識が抜けず、あのままでいつか自分が死ぬこと老いることを不安というか、時空を超えて思っていたが、今はその向こう側に辿り着きつつ、その少年の自分がうまく完了できない。今月日蝕が来る。この日を私は小学生のころから知っていた。21世紀になり、自分が50歳を超えるのかと不思議に思ったものだった。夢は。名古屋の奥地というか、ちょっと小高い山の地方を旅している。いろいろな思いが交錯する。露天風呂のようなところでじっとしていると、高校生くらいの少女が入ってくる。私は夢では40代くらいのおっさんなので、困ったことになったと思う。見るわけにもいかないが、気づかれずに入って来るのも困るので、あー、入っているが、みたいなことを言うと、少女はかまいませんと言ってつかつかと湯に入ってきて、私の右横、といっても50cmくらい離
事件性の有無などを調べる検視の精度を高めるため、警察庁は携帯型の超音波診断装置を全国の警察本部に配備する。超音波画像による診断には限界もあるが、司法解剖数が限られ、刑事調査官(検視官)の要員も不足する現状では補完効果が期待できる。先に一部で導入したCT(コンピューター断層撮影)と共に幅広く活用すべきだろう。 昨年中に全国の警察が取り扱った変死体は約16万体を数える。高齢化で孤独死などが目立ち、検視件数はこの10年で1・5倍に増えた。最善の死因究明法は解剖とされ、昨年は犯罪が疑われる約6300体を司法解剖しているが、変死体に占める司法解剖率は3・9%に過ぎない。死因不明の死体が対象の行政解剖を加えても10%弱にとどまる。欧米諸国は50%前後に達し、100%実施している国もあるだけに、日本の解剖率の低さは際立っている。 メモ。 なんとなく脳死問題臭い感じがする。
これもこの手の話をしていて思い出して、ああ、これもけっこう人生観を決めているなと思ったのは。 これ⇒「 愛と憎しみ―その心理と病理 (1963年) (岩波新書): 宮城 音弥: 本」 絶版だが古書は安価。ただし、古すぎて読むのをお勧めするわけではない。 が、愛について、ローレンツではないけど、そうした生物学から心理学的な射程で宮城が定義したのは、今も自分の考えの基本になっている。 それは、「愛というのは共生への意欲である」ということ。ちょっとオリジナルとは違うかもしれないけど。 衝動とかではなく、種本能のプログラム性と持続性がこのなかに含まれている点が重要。 「ああ、惚れかたら一晩やっちゃえ」というのは、愛ではないというか(もっともその進化論的な合理性はあるけど)。 で、この愛というのは、ロマンチック・イデオロギーとか近代がどうたらではなく、宮城はもっとエソロジカルでサイコロジカルに見てい
まいどの話。爺とか言われて、まあ外見もここでの文章もそうというか人がどう考えるのかはご勝手に以上はないが、実際に老いていく自分ものに閉じ込められている自分の少年みたいな意識はそれはそれで閉塞的な苦しさはある。 50歳の男にもなれば40歳女でも若いし、そう見えないこともないのだが、反面、20代の女ですら、どこかしら年上に見える心性もいまだにある。そして、どうもこれは一生克服することはなかったなというのは、女への怯えというものだ。恐怖と言ってもいいかもしれないが、微妙なものがある。 吉行淳之介はあれで生涯女が怖かった。これは「「 春夏秋冬 女は怖い―なんにもわるいことしないのに (光文社文庫)」」と洒落のめしている背景にあるもので、おそらく生物的な心性に支えられた女というもの、生物的な関与への恐怖のようなものだっただろう。講演をしていると彼はモテる男でもあり女がぞろっと集まるのだが、みんな自分
まだ本格的な梅雨ではない。街中を歩くとあちことに閉店を見る。一段と街が枯れていく感じだ。夢はいろいろみたが忘れた。
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