あとで読むとphilosophyに関するhikakinnouraakaのブックマーク (5)

  • 平井(2017)「時間の何が物語りえないのか」

    時間学研究所の論集『物語と時間』所収の下記拙論を公開。 平井靖史(2017)「時間の何が物語りえないのか——ベルクソン哲学から展望する幸福と時間」(pp. 37-58) PDFファイル 時間が計測不可能であるとはどういうことか、速さ逆転問題など、できるだけ身近な事象を例に、ベルクソンの持続論からどのように論じられるか。時間意識や経験と幸福や美学の関係に関心のある方々にも読んでいただければ嬉しいです。 (「心と記憶力——知的創造のベルクソンモデル——」(『人工知能 特集 意識とメタ過程』33巻4号、2018年7月、508-514. PDF)は科学・工学向けの論述) 同書は、「時間学の構築」シリーズの第二弾で、このほかに哲学からは山口尚さんの「物語・行為・出来事 野家と井頭の物語論的自由論を媒介にして」をはじめとして、文学研究、社会学、美術史などの観点から、物語と時間を掘り下げる魅力的

    平井(2017)「時間の何が物語りえないのか」
  • 著名な倫理学者ピーター・シンガー氏は、日本のIWC脱退をどう見るか - 迷子のオガワコマッコウの放浪日記

    Peter Singer(ピーター・シンガー)氏は、応用倫理学の世界的権威として知られており、2005年にタイム誌によって世界の最も影響力のある100人にも選ばれた著名な倫理学者です。 彼自身は動物の権利論や菜主義思想の新たな枠組みとして独自の道徳規範を提唱し、過去40年以上にわたる論争によって、生命倫理学に関する知見を飛躍的に進歩させてきました。 彼の理論はほぼ全て利益に対する平等な配慮という唯一つの道徳規範に基づいており、今までに 動物の解放 実践の倫理 マルクス グローバリゼーションの倫理学 など数多くの著書を執筆しながら、多くの社会問題に関して応用倫理学的見地から疑問を投じています。 また彼は一部の動物種に対して人格(Personhood)が認められると主張し、従来のパーソン論と動物倫理学との橋渡しを行うなど、これまでの倫理学の枠組みに大きな変化をもたらしてきました。 そんな彼が

    著名な倫理学者ピーター・シンガー氏は、日本のIWC脱退をどう見るか - 迷子のオガワコマッコウの放浪日記
  • 「土である」という死の肯定 クトゥルー新世における思弁的寓話小説について | 研究ノート | Vol.33 | REPRE

    ダナ・ハラウェイが『困難(トラブル)と共にあること』(2016)の最終章に置いたのは、一篇のSF小説であった。2013年にフランスで開催されたワークショップで共作され、「カミーユの物語」と題されたこの物語が描くのは、近未来から数世紀先まで、地球上の動植物が大絶滅を迎える中、生態系と調和すべくゆるやかに人口を抑制して生きてゆく人々と、そのコミュニティで生まれ育つ5世代のカミーユである。主人公ともいえるカミーユたち「堆肥(コンポスト)の子ども」は、絶滅に瀕している種の遺伝子を組み込まれた共生生物として生まれた存在であり、共生相手の種が絶滅したとしてもその種が持っていた特徴を身体化しつづける。 共生、絶滅、そして記憶というテーマをランドール・マンローのウェブコミックから明確に引き継ぎつつも*1、題材を蘭の花から人に置き換えサイエンス・フィクションの趣向を加えた「カミーユの物語」からは、ハラウェイ

  • 詩の哲学入門 - Lichtung

    はじめに 詩(poetry)とは何か、詩は翻訳できないのか、詩の形式と内容とはどう関係しているのか、詩における「わたし」とは誰か、詩の真理と深遠さとは何か、歌詞、詩、短歌、これらのジャンルにはどのような特徴があるのか。こうした問いを哲学的に問う学問領域は近年、「詩の哲学(Philosophy of Poetry)」として、活発な広がりをみせている。 稿では、詩の哲学において問われている問いを提示することでこの分野の輪郭を描くとともに、その意義を示すことで、詩について哲学的に考えるおもしろさを伝えることを試みる。 稿の構成は以下の通り。第一に、定義論とその意義に触れ、第二に、翻訳不可能性、形式と内容の統一性について、第三に、詩における「わたし」とは誰なのかを考察し、第四に、真理と深遠さに関する議論を概観する。第五に、詩の哲学の意義をあらためてまとめ、さいごに、短歌、現代詩、歌詞といった詩

    詩の哲学入門 - Lichtung
  • Phil-nous

    哲学史の教科書に登場する哲学者のほとんどは西洋の男性ですが、それ以外の哲学者というのはこれまで存在しなかったのでしょうか? 近年の哲学史研究は、どのようにして非西洋の哲学者や女性の哲学者がカノン(正典)から排除・周縁化されてきたかを明らかにしています。 問題は、非西洋の哲学者や女性の哲学者に光が当てられてこなかったというだけではありません。哲学的に価値があるものとはどういうものかに関する基準が一定のバイアスのもとで形成されてき、これが排除・周縁化の論理として働いてきたという点がしばしば指摘されています。 オータムスクール OZSW Autumn School ‘Beyond the Canon: Unexplored Topics and Forgotten Thinkers’  に参加するにあたってカノンの見直しについて少し勉強したので、関連するいくつかの情報をまとめてみました。 関連ウ

    Phil-nous
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