<10/2>次期総長決定 本日、9/30に行われた”本物の”意向投票の結果を受けて、第31代東京大学総長が藤井輝夫に決定しました!! 時代錯誤社公認候補であった宮園氏は、健闘むなしく、惜しくも選ばれませんでした。 以下に、われわれからの次期総長決定の応援メッセージを載せておきます。 藤井輝夫次期総長おめでとうございます! これからもよろしくね!! ※吹き出しの中のセリフは、あくまでもイメージであり、実際の発言をもとにしたものではありません。 ※画像内のパーセンテージは、有効票数ではなく全票数を分母にとったものです。 <9/26>時代錯誤社公認候補を決定 時代錯誤社では、このたびの公認候補の選考にあたり、非公式意向投票の結果、見た目、コンテンツ性、パンケーキを食べていそうか、といった候補者の属性を特別に意識した上で、求めている総長像に照らして最良の候補者を公認するという方針で臨み、慎重かつ丁
東京大の来年度からの学長(総長)を決める選考会議で「選考プロセスの透明性や公平性に疑義がある」として、教員有志6人が大学側に公開質問状を出した。5人まで選べる最終候補者が理系の男性ばかり3人とされたことや、氏名が30日の学内投票終了まで外部には非公表となっていることなどを問題視している。(神谷円香) 現在の五神真(ごのかみまこと)学長の任期は来年3月まで。小宮山宏元学長を議長に、16人による選考会議を進めてきた。1次候補者は学内での投票などで10人程度が集まり、最終候補者の3人を9月7日に選び、学内にのみ通知された。前回6年前の選考では、最終候補者は大学のホームページ(HP)で発表された。 有志は16日に質問状を出し、最終候補者が工学系2人、医学系1人となった点を指摘。前回の最終候補は5人で文系、女性もいたことから「総合大学としての観点から見て著しく多様性を欠き、投票の選択肢を過度に狭める
韓国文化院が主催する「コリアン・シネマ・ウィーク」は、毎回多くの韓国映画ファンの方よりご好評をいただき、2001年のスタートから今年で20年目を迎えました。 本イベントでは、韓国映画を通じて韓国の映像文化の魅力とともに韓国の多様な文化や社会、更には韓国人の情緒などを紹介し、韓国と日本の文化交流の促進と友好親善関係の増進に寄与することを目的に、優れた作品性を備えた多様なジャンルの韓国映画を上映してきました。 今年の「コリアン・シネマ・ウィーク2020」は、新型コロナウイルスの感染防止のため、オンライン上映による開催となります。韓国映画の魅力を感じていただける様々なジャンルの日本未公開の作品を中心に最新の7作品を上映しますので、どうぞご期待下さい!
全国校則wikiは入学前の学生、人権活動家などが校則を確認できることを目的とした日本最大の校則情報専門wikiサイトです。誰でも自由に閲覧・編集が可能です。 日本の高等学校、高等専門学校、中等教育学校(後期課程)、専修学校(高等課程)、各種学校(高等部)の校則に対応しています。 全国校則wiki制作委員会はメンバーを随時募集中です。単なる意見交換の場としてもこちらのDiscordグループが存在しますので是非ご参加ください。 全国校則wiki:全国校則wikiについてから関連項目を確認できます。 校則情報を提供する 直接の編集、またはアンケートに答えることで校則情報を提供することができます。 現在、アンケートに回答者に抽選でアマゾンギフトカードが当たるキャンペーンを行っています。 日本の校則一覧 北海道地方 Category:北海道の校則 東北地方 Category:青森県の校則 Categ
マルチスピーシーズ人類学研究会の「COVID-19を分野横断的に考える 」シリーズ第五弾。社会的距離化が一般化した環境において「心のケア」のオンライン化が果たして可能なのか、可能だとすればそれはどういった形なのか、あるいは、そもそも物理的な対面とはなんだったのか——をめぐって。 << TALK 01|奥野克巳 × 近藤祉秋|ウイルスは人と動物の「あいだ」に生成する──マルチスピーシーズ人類学からの応答を読む <<TALK 02|逆卷しとね × 尾崎日菜子|接触と隔離の「あいだ」を考える──コロナの時代の愛をめぐってを読む <<TALK 03|吉村萬壱 × 上妻世海|都市を彷徨える狩猟民に〈知恵〉はあるのか──私と国の「あいだ」を/で問い直すを読む <<TALK 04|清水高志 × 甲田烈|我々は対象世界を《御すること》はできない── 既知と未知の「あいだ」の政治を読む この記事は、マルチス
シリーズ『COVID-19〈と〉考える』 TALK 08|塚原東吾 × 平田周|グローバルとローカルの来たるべき「あいだ」へ──プラネタリー・アーバニゼーション研究と科学批判学が見据える第三の道 マルチスピーシーズ人類学研究会の「COVID-19を分野横断的に考える 」シリーズ第八弾。「グローバル/ローカル」という二項対立を乗り越え、あるいは調停する、かつその二つの極の「あいだ」における、バランス調整にとどまるのではない第三の道を、COVID-19と共に発見すること。 << TALK 01|奥野克巳 × 近藤祉秋|ウイルスは人と動物の「あいだ」に生成する──マルチスピーシーズ人類学からの応答を読む <<TALK 02|逆卷しとね × 尾崎日菜子|接触と隔離の「あいだ」を考える──コロナの時代の愛をめぐってを読む <<TALK 03|吉村萬壱 × 上妻世海|都市を彷徨える狩猟民に〈知恵〉はあ
『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』には、その扉あるいは裏表紙に常に「『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』に発表された全てのテクストは、 出典を明記しなくても、自由に転載、翻訳、翻案することができる」と書かれている。しかし、シチュアシオニストにとってこの銘記は、ブルジョワ的私有概念 を無視した、運動に資する「海賊出版」を自由に行ってくれという意味であり、資本主義システムに嬉々として組み込まれた大出版社がこれを利用することに対 しては、彼らは「事実行為」によってあくまでも闘うという態度を貫いた。(……)したがって、本書もまた「出典を明記しなくても、自由に転載、翻訳、翻案 することができる」。そのようにして本書が活用されることを願う(日本語版『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』木下誠氏による「あとがき」より)。 電子書籍(PDF/epubフォーマット)に対応しました。下の目次
ポストフォーディズムにおいて、労働は一種のパフォーマンスとなる。フレキシブルな生産体制において重要なのは、偶然性が支配する(社会学でいうダブル・コンティンジェンシー)環境の中で、コミュニケーションしつづけること、コミュニケーションの回路から排除されない能力が労働者に要求される。 このようなコミュニケーション労働は、これまでの労働とはいささか性格を異にする。あるいは、アーレントが人間の活動に関して行った区別(行為、仕事、労働)でいえば、単純に労働とは括れないものになっていく。なぜなら。コミュニケーション的労働は、必ずしもその活動の結果が活動自体の外にある(「制作」の定義)わけではないからである。コミュニケーション的な労働(マルクスのいう非生産的労働)では、パフォーマンスのよさが評価の対象になる。 たしかに従来も、このような、活動自体が評価される領域(さまざまなサーヴィス労働の分野)がないわけ
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