田島道治初代宮内庁長官が昭和天皇とのやりとりを書き残した、いわゆる『拝謁記』の一部が8月、報道陣に公開されました。サンフランシスコ講和条約(サ条約)発効と日本国憲法施行5周年を祝う式典での「おことば」を巡り「反省」のくだりを入れたい天皇と吉田茂首相の間でのやりとりや「軍備といつても国として独立する以上必要である」といった見識が示されていて大きな話題となりました。 確かに大ニュースなのですが筆者が注目したのは張作霖爆殺事件に関する部分でした。主要メディアがどうも深掘りしてくれないので自ら論じてみました。 田中総理の言うことはちっともわからぬ 張作霖爆殺事件とは1928年6月、中国人軍閥指導者の張作霖の乗った列車を関東軍が爆破し死亡させた事件です。 関東軍とは1905年のポーツマス条約(日露戦争講和条約)で得た遼東半島(中華民国の一部)南部の租借地の守備と同じく条約で譲渡された旅順(遼東半島先