築地小劇場100年と文学座ー文学座「摂」上演にちなんで― 出演:新橋耐子・原康義・富沢亜古・荘田由紀(文学座) 大笹吉雄(演劇評論家)・児玉竜一(演劇博物館館長) 日時:2024年10月11日(金)18:30~20:15 会場:小野記念講堂 要事前予約・参加無料
築地小劇場100年と文学座ー文学座「摂」上演にちなんで― 出演:新橋耐子・原康義・富沢亜古・荘田由紀(文学座) 大笹吉雄(演劇評論家)・児玉竜一(演劇博物館館長) 日時:2024年10月11日(金)18:30~20:15 会場:小野記念講堂 要事前予約・参加無料
●フィクションについて考える時、例えば、小説なら小説にしか出来ないこと、絵画なら絵画にしかできないこと、みたいな、メディウムに根拠を置くメディウムスペシフィックな思考(表現論)は成り立たないと思う。いや、メディウムについての思考は依然として重要だけど、作品成立の根拠をメディウムに求める(メディウムの同一性に頼る)ことは出来ない。しかし、メディウムやフレームというものを不可視化し、フィクションを魔法化して、「現実」のなかに溶け込むように遍在させることが良いこととも、どうしても思えない(良し悪しとは関係なく、現実はそういう方向にゆくのだろうが)。それはむしろフィクションの現実性を殺してしまうように思われる。 (それはむしろ、フィクションを現実的な原理――資本や権力や技術の原理――に従わせるという方向になってしまうのではないか。そうなると、フィクションのもつ「現実の可能性の可動域を広げる」という
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く