ブックマーク / yonosuke.net (5)

  • 五野井郁夫先生の「キャンセルカルチャーはデモクラシーを窒息させるのか」にはビビりました | 江口某の不如意研究室

    前のエントリではちょっとミル『自由論』の話して、出典の話で終ってしまったのですが、それではあんまり失礼かもしれないので、論文の内容にも少しコメントしておきたいと思います。 私が見るところでは、五野井論文は以下のような構成になっています。 不買運動などのボイコット運動は正当な民主主義運動ですし、それはツイッターでのハッシュタグ運動などに発展しています。(前回触れたミル解釈はここで出てくる)ボイコット運動の延長としてキャンセルカルチャー=コールアウトカルチャーを説明します。ハッシュタグアクティビズム、ノープラットフォーミングなどを紹介します。その問題点は恣意的になりやすいこと、いつ「キャンセル」が終るかわからないことなどです。キャンセルされた有名事例を列挙します。トマス・ポッゲ、ピーター・シンガー、J.K.ローリング、リチャード・ドーキンス、チャールズ・マレー、スティーブン・ピンカー、V.S.

    himakao
    himakao 2023/06/09
  • 五野井郁夫先生の『世界』論文「キャンセルカルチャーはデモクラシーを窒息させるのか」の出典なんかおかしい気がする | 江口某の不如意研究室

    毎日新聞での「キャンセルカルチャー」擁護記事で五野井郁夫先生という方が話題になっていたので、その記事の元ネタらしき『世界』2023年6月号の五野井郁夫「キャンセルカルチャーはデモクラシーを窒息させるのか」という論文をめくってみました。『世界』とかのいわゆる論壇・総合雑誌に載ってる文章こそ「論文」だっていう感じがありますよね。重大な社会的問題を論じるのだ!って感じ。 さてこの文章いろいろ問題があると思いました。いちいち書けないのですが、奴隷商エドワード・コルストンやレオポルド二世の像なんかが「21世紀の公共空間には不要」で「芸術的価値や資料的価値をことさらに強調したいのであれば、人目につかない倉庫で保管すればよいだけの話」であり、「大っぴらに他者を傷つけたいとの願望は自身の脳内に収めて」おけ、といった文章には驚きましたが、それより次の文章ですね。 思想信条の自由とは、J・S・ミルが『自由論』

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    himakao 2023/06/07
  • 『月曜日のたわわ』広告問題(1) 見たくないものを見ない権利/ジェンダー平等を語る偽善 | 江口某の不如意研究室

    『月曜日のたわわ』という青年マンガの広告が日経新聞に一面で掲載されたらしく、それについての議論が炎上しているようです。特にハフポストの以下の記事が焦点になってますね。すでに論評がいろいろ出ているのでそれに加えて私が書くべきことはそんなにないのですが、発見もあったのでちょっとだけ。今日は前おきだけ。 ハフィントンポスト「「月曜日のたわわ」全面広告を日経新聞が掲載。専門家が指摘する3つの問題点とは?」 https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_624f8d37e4b066ecde03f5b7 これの一つ目の問題の「見たくない表現に触れない権利」ですが、これは法的な権利ではなくまあ道徳的な権利としてはありだと思います。我々は不快なものを見たくないので、たとえば公の場で誰かが多くの人が見て不快に思う行為をしていたら警察につかまえてもらうようにしていま

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    himakao 2022/04/17
  • 宇崎ちゃん問題 (7) 「理解」を理解するのはむずかしい | 江口某の不如意研究室

    まず「理解」から。小宮先生の典型的な表現を抽出してみるとこんな感じです。 「表象に対する理解の齟齬」 「「悪さ」の理解」 「表象の理解」 「表象はその抑圧の経験との繋がりの中で理解される」 「女性差別の歴史と現状に照らしてその表象が理解される可能性が出てくる」 「女性の描き方の中で「女性は性的な客体……である」という女性観が当然の前提とされていると理解できるかどうかだ」 「具体的にどのような描き方をするとそうした理解が生じるのでしょうか」 「「性的客体としての女性」という考えが前提にされているという理解を生みやすい表現」 表象つまり表現物・作品を「理解する」っていうのはどういうことなのか、「ある絵画がどういうメッセージを伝えているかを解釈する」ぐらいだと、まあ絵画がメッセージを伝達するものとして解釈を必要とする、というのはわかります。でもこれも難しいですよね。 ふつうに「理解する」とはまず

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    himakao 2019/12/21
  • 詭弁と誤謬推理に気をつけよう(1) 宇崎ちゃんポスターの場合 (宇崎ちゃん問題(1)) | 江口某の不如意研究室

    『宇崎ちゃんは遊びたい』とコラボした献血ポスターについて、フェミニストの牟田和恵先生が、各自治体のガイドラインを示して、ポスターはガイドラインに反した性差別であると主張しています。それに対してはすでによい論評がいくつか出ているので [1]「「宇崎ちゃんは遊びたい」×献血コラボキャンペーンの絵は過度に性的なのか?」「宇崎ちゃんを採用した赤十字は現実的」 私が書くべきことはほとんどないのですが、一つ、大学での教育的な点から書いておきたいことがあります。これは続きものになるかもしれない。 ゲンダイの文章は改ページが多くて見通しが悪いので、冒頭から、途中の、ガイドラインに反しているのは明らかだと主張しているところまで引用しましょう。 日赤十字社が献血を呼びかけるためにweb漫画とコラボで作成したポスターがネット上で論議を呼んだ。今回使われたのは写真の通り、幼い表情で、巨大といってもいいような乳房

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    himakao 2019/11/07
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