第233回 ABCD包囲網/援蒋支援ルートをめぐる日英仏の駆け引き①など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。 この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 <継承する記事> 第232回 ABCD包囲網-天津英(イギリス)租界封鎖事件/有田・クレーギ―会談 これまでの流れを整理しますと、 1.第一次世界大戦後、日本が戦勝国として連合5大国の仲間入りを果たしたあたりから、どうも米国内における日本に対する世論の風当たりが厳しくなり始めていた。 2.日本が起こした「満州事変」は、日本にとってはソ連の南下を食い止めるための「英断」であったかもしれないが、米英にとっては「自国の権益が脅かされている」様にしか映らなかったこと。 3.ただし、対ドイツ戦が勃発する以前。チェンバレン首相の下でのイギリスは日本に対して敵意をむき出しにすることはなく、「天津英租界封鎖事