タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

ジブリに関するhiro7373のブックマーク (2)

  • 『かぐや姫の物語』生命を吹き込む魔法【レビュー上巻】

    宮崎駿は『風立ちぬ』の完成報告会見の席で、記者に「5年ぶりの監督作ですが・・・」と問われ、「5年ぶりじゃない、5年かかったんだ」と返答した。 『風立ちぬ』の実際の製作期間は3年程度であるが、このときの宮崎監督の発言は、『崖の上ポニョ』以後空白の2年、おそらく作品についての思索も合わせて「5年かかった」という意味で言っているのだろう。アニメーションという共同作業が必要な創作物でありながらも、そこに「個人の作家性」を認めて欲しいという主張が隠されているように感じるのである。 それならば製作期間8年、だが劇場用長編作品の監督としての空白期間を入れれば、「14年かかった」高畑勲監督の『かぐや姫の物語』は、彼が東映動画在籍時代に、内田吐夢を監督として計画された幻の「竹取物語」アニメーション化企画において、社内の公募による自身のアイディア(天人界=月から地球に落とされるまでの経過を冒頭部に挿入するなど

    『かぐや姫の物語』生命を吹き込む魔法【レビュー上巻】
  • 『かぐや姫の物語』の、女の物語 - 戦場のガールズ・ライフ

    『かぐや姫の物語』を観た。強い衝撃を受けた。昔話のあらすじそのままでありながら、昔話ではなかった。これは、あきらかに現代を生きる女の話だった。震えた。 思春期を迎える頃に、かぐや姫は生まれ育った山を離れ、都へと連れていかれる。この時点でいくつかの喪失がある。子供時代の喪失。野山を駆け巡る生活の喪失。遊び仲間の喪失。姫は、このときまだ自分が何を失ったのか理解していないが、「子供時代の喪失」は、女にとって、人間性を一度失うことと同じである。女にとって、大人になるということは、ただ子供から大人になるということではない。大人ではなく、「女」になれ、という周囲からの強制が必ず働く。ただ自分の意志で好きなことをし、気持ちをそのままに表現できた子供時代を失い、人目を気にして誰から見られても恥ずかしくない「女」になれと強いられるのは、自分自身を捨てろと言われているのに等しい。都に移り住んだ姫は、走り回るこ

    『かぐや姫の物語』の、女の物語 - 戦場のガールズ・ライフ
  • 1