【独自の表現の度合いの違いでは?】 独自の表現がない、あるいは弱い状態のまま自分のモノにしようとするのが『パクリ』 自分自身のカラダなど独立した環境で同じ表現をしようとするのが『まね』 素材を『パクリ』してからそれを自己表現で加工するのが『オマージュ』と考えています。 似たケースでは例えば『ねずみ講』の場合、実体(額面)がなかったために問題になったわけです。 これが多少実体のある場合『マルチまがい』とか呼んだりしましたね。 最近のネットワークビジネスは『実体』を前面に出していることが多いが、なかなか難しい・・・