人生二度目の金環日蝕体験。そのはずなんだけど、何しろ前回は五歳だったので、今ひとつ自分の記憶に自信が持てない。札幌のモエレ沼公園のような緑の丘が広がる公園に、サングラスをかけた人々が集っていたのを見たような気がするんだけど、そもそもおれの地元である沖縄にそんな公園はなかったはずで、自分の記憶を全く信用することができない。
ひがし茶屋街ではボランティアらしき男性がお座敷文化のことをいろいろと説明してくれたのだけど、何と言うかこう、独特な雰囲気を持った人だったね。良くいえば貴族的、悪くいえば高慢な感じでさ。「本来であれば一般人は絶対に入ることはできませんよ」ってフレーズを十二秒に一回は話に織りまぜてくるわけよ。おれなんかは、ほら、労働者階級に属する若者だからさ。そういう話をきくとだんだんイライラしてしまったりするわけよ。でも、一方で、「もし家を建てることがあったら、この中庭の造りはぜひとも真似したいもんだなあ……」なんていうプチ・ブル的な心性を発揮してしまったりもして。 そんな日和った態度をプロレタリアートとしてのおれは許さないよね、当然。貧乏人が金持ちの文化に憧れたって空しいだけやろ的なことまでいいだしはじめるわけよ。そしたら、小市民のおれもさ、綺麗なもんを綺麗と言って何が悪いんやって反論するしね。お互い一歩
忘れられた日本人 (岩波文庫) 作者: 宮本常一出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1984/05/16メディア: 文庫購入: 49人 クリック: 366回この商品を含むブログ (215件) を見る それでもそれからあそびが一つふえたわけで、子守りたちがおらにもいれて、おらにもいれていうて、男の子はわし一人じゃで、みんなにいれてやって遊ぶようになった。たいがい雨の日に限って、納屋の中でそういう事をしてはあそうだもんじゃ……。 女ちうものは気の毒なもんじゃ。女は男の気持になっていたわってくれるが、男は女の気持になってかわいがる者が、めったにないけえのう。とにかく女だけはいたわってあげなされ。かけた情は忘れるもんじゃァない。 わしはなァ、人はずいぶんだましたが、牛だけはだまさだった。牛ちうもんはよくおぼえているもんで、五年たっても十年たっても、出あうと必ず啼くもんじゃ。なつかしそうにのう。牛
流行り歌にのせられて、おれも何となく上京を果たしたような気になっていたのだけれども、よくよく考えてみれば、おれはずっと千葉だの神奈川だのをずっとぐるぐると彷徨っているばかりで、これまで一度として東京にたどりついたことなどなかったのだった。 ちなみに、東京の範囲に関するおれの判断基準は極めて厳しいもので、例えるなら錦糸町はおれの中では東京ではない。千葉である。 なぜ、そのような誤解が生じるに至ったかというと、千葉から新宿へ向かう際には、錦糸町で総武線快速から鈍行に乗り換えなければならず、そのことがおれの脳内に錦糸町こそが千葉と東京を分かつ関であるとの印象を与えてしまったようなのだ。 だったらば、錦糸町はギリギリ東京だと判断するのが自然であるようにも思われるが、錦糸町駅前に漂う、どうにも隠しようもない千葉臭は、おれに錦糸町は千葉であると誤認させるに十分な力を有していたようだ。 あれから、幾度と
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