静岡新聞の連載小説『親鸞 完結篇』の挿し絵が毎回この手の小説にしては今風のセンスと画風で面白いな、と思って見てるんだけど今日ついにこれでくっそふいた
帯には「誰かをバカにするマンガと思ったら大間違いだ!」という久保ミツロウ先生の力強いお言葉があるし、著者である渋谷直角氏はあとがきで「彼らに対して、こちらの何かの一つの価値観や上から目線をもって小馬鹿にしたり、それじゃダメだ、と断定して描いているのではなく」とはっきりと記していて、それはけっして嘘ではないのだろうけども、この作品を読んで感じたのは、やはり強烈な悪意、だった。小さな世界でもがくサブカル民を単に馬鹿にするのではなく、ある種の愛情をもって描いていることは、特攻の拓の天羽セロニアス時貞に匹敵するほど感動的な宮沢賢治使いをみても明らかなのだけど、散りばめられた固有名詞の群れからは、それを上回るほどの悪意を感じてしまう。 「バンプオブチキンと空の写真ばかりアップしているブロガーの恋」や「ダウンタウン以外のお笑い芸人を基本認めていないお笑いマニアの楽園」は、そもそもタイトルに固有名詞が入
http://anond.hatelabo.jp/20131031224610 「例の宗教の記事について」を読んで、概ね同意した。 「俺はこの大学教授を叩いてるやつが理解できない。」は上から目線で言い過ぎかなぁと思ったけど。私は同じ気持ちにはなれないけど理解はできる。こういう人、私の周囲にも多いから。 「こういう人」っていうのは、アニミズム信仰は宗教に含まれるとか、宗教学的にはこういうのも宗教に含まれてねって話をされて、「だからなんだよ、学問的にはどうこうとか知らねーよ、俺の中では宗教じゃないんだから宗教じゃねーよ」みたいに感情的に否定する人、って意味なんだけど。 宗教どうこうに限らず、「俺の価値観を揺さぶるんじゃねーよ」って人、ってことね。 そういう人の学歴を誰かに統計とって調べてみてほしいと思う。煽りとかじゃなくて。 その中に大学生や大学卒業者が結構いたら、その考えって損してるなあと思
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く