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2016年2月19日のブックマーク (4件)

  • うさぎに対して性欲を感じなくなった。

    小学3年くらいのときに「クレヨン王国の花ウサギ」という児童書を妹と読まされ、そこに出てくるうさぎに生まれて初めての性的な興奮を覚えた。 それから図書室でうさぎが主人公のを探し、ピーターラビットや「しろいうさぎとくろいうさぎ」という絵のうさぎの絵にたまらなく興奮した。 ちょっと成長するとイラストではなく物のうさぎに興奮するようになった。うさぎの写真で自慰する毎日だった。 飼うことは親に許されなかったので近くの児童公園が飼育していたうさぎを毎日のように見ては目に焼き付けて家に帰り興奮しながらヌいた。 頭の中がうさぎでいっぱいでうさぎのことばかり考えて勉強に身は入らないし友だちもあまりできなかった。うさぎが好きなことを誰にも言えなかった。 それからずっとうさぎが好きで大学生でひとり暮しをはじめてから念願のうさぎを飼った。もちろん変なことはしない。大事にペットとして愛している。 ただ中学生の

    うさぎに対して性欲を感じなくなった。
    hiruneya
    hiruneya 2016/02/19
    うさぎさんも性欲強いらしいからそっち方向で幸せになれたらよかったのにな。
  • “年間200本観るボクのオススメ”に権威を感じない - あざなえるなわのごとし

    anond.hatelabo.jp 映画会社社員A「このまえ公開された◯◯なんですけど〜ネットにひどいこと書かれてて〜見て下さいよこのブログ〜」 広告会社社員B「ん〜???ああ、このブログね。これは「紫の服の人」だから気にしなくていいよ」 まぁ、増田の話は置いといてこういう「年間200映画を観るぼくがオススメする映画」とか「年間○○冊読んだオレがオススメする自己啓発書」とかタイトルに入っていると、その数を権威化しようとしているのがモロに見えて、中身がどうであれ非常にあざといなぁと思えてしまう。 好きな映画監督を並べるだけなら何の文句も出ないだろうに。 【スポンサーリンク】 年に200はすごいか? ウチの場合、学生時代は月に最高60観ていたころがある。 通して年間で数えていないけど、そんなことを数か月やってたから当然200は優に超えている。 学生なんてヒマなんだから観る時間はあった。

    “年間200本観るボクのオススメ”に権威を感じない - あざなえるなわのごとし
    hiruneya
    hiruneya 2016/02/19
    スノーピアサーの監督がパクチャヌクになってる
  • 「デッサンが狂ってる」という言葉を使う人間はもれなく絵の素人

    自分は武蔵野美術大学で学んでる者だが、ネットの絵描きクラスタで「デッサンが狂ってる」という言葉を聞く度に失笑を禁じえない。 彼らの言うところの意味によると、それは「人物の形のバランスがおかしい」ことを指すらしいが、真っ当な美術教育を受けてきた自分からすればあまりにも笑いを誘う言葉使いと言わざるを得ない。そもそも、「形がおかしい」のであれば、素直に「形がおかしい・形が狂っている・比が違う」等と指摘するし、例え横文字を使うのだとしても、そこは「プロポーションがおかしい・プロポーションが狂っている」と言う。 美術高校、美大予備校、現在の美大と通じて教育を受けてきたが講師・教授は皆こういう言い方をしてきたし、「デッサンが狂ってる」という指導をしている教師をかつて一人も見たことがない。 そもそも「デッサン」が「狂ってる」って何だ?字義通りに解釈するなら、鉛筆や木炭を駆使しモチーフを写実的かつ空間的な

    「デッサンが狂ってる」という言葉を使う人間はもれなく絵の素人
    hiruneya
    hiruneya 2016/02/19
    マンガ絵界では完全に別用語。日本で本来の英語と違う意味で使われてる言葉みたいなもん
  • 石ノ森章太郎って漫画界にとってどれ程の存在なんだろう

    あの人の漫画でうわーすげー天才だーと思った事がないんだよ でも存在感は結構ある、手塚や藤子には劣るけど 安定して面白いってくらいで自分の中では浦沢程度の存在なんだが 作品以上に漫画家の存在感がでかいなーと思うのはあさきゆめみしの大和とかもいる

    石ノ森章太郎って漫画界にとってどれ程の存在なんだろう
    hiruneya
    hiruneya 2016/02/19
    超おおざっぱに言えば、マンガのいろんな要素の初出は手塚治虫で洗練させたのが石森章太郎的な。