水木しげるが手塚治虫をモデルに「一番病」なるマンガを描いたと前に書いたが、もしかすると、「火の鳥」鳳凰編は、手塚治虫が水木しげるをモデルに描いたのでは、とふと思ったり。あの主人公は水木しげると同じく片手、だしなあ。しかも怪物画が異様に上手かったりするし。最終的にはその主人公、もう片方の腕も切られてしまうのだけれど、そのきっかけを作った男の性格って、なんか「一番病」と評してもいいパーソナリティーだったような。わかりにくいっすか? つまりあのマンガって「手塚治虫VS水木しげる」の構図をそのまま模してるようだってこと。穿ち過ぎか。 昨日買った「新潮」をぱらぱらと。はっきし言って読むの遅いです。そんな中でも掘り出し物がいくつか。つまり「記憶に残るだろうな」という物件。池澤夏樹「人生の広場」(村上春樹によくこうした会話系の短編があるよね)。町田康「一言主の神」(笑った笑った。町田康ってこんなにおもし