● 電話の向こうで、いつも会う時よりも少しだけ低い、でもやはり心地よい太さのあの声が響いていた。 「●●●●君、悪いけどそれはダメだ。できませんよ」 20分くらい、いや、もしかしたら30分以上、受話器を握っていたかも知れない。この世代の年長者に対してまずは長電話と言っていいやりとりの中、型通りの無沙汰のわびから近況などのとりとめないやりとりをさしはさみながら、折りを見て何度も繰り返すこちらのお願いごとに対して網野善彦は、そこだけ声をはげますようにして応えていた。こちらのいつにない執拗さに呼応して、同じく何度も何度も。 「君とだったらいくらでも話をしたいし、直接顔をあわせて尋ねてみたいこともたくさんあるんだ。それだったら僕はいつでも時間をとるけれども……」 それは僕だってそうですよ、網野さん。僕が生来のおっちょこちょいでお祭り好きなすっとこどっこいなのはもうよくご存じでしょうけど、でも、伊達
● 『マンガ嫌韓流』(以下、『嫌韓流』)については、作品そのものもさることながら、作品をめぐる現象自体が興味深いと言えます。それは、大きく言って今のニッポンの情報環境が「戦後」六十年、新たな形を求めて変貌し続けている現状をあぶり出す格好の事象となっています。日韓関係における政治・外交的なマターとしてのみ『嫌韓流』をとらえるのでなく、「戦後」の終焉と新たなステージへと移行しつつある中でのニッポン社会のありようを計測しようとする観測点として、これらの現象はとらえられるべきでしょう。 ここ数年、いわゆるマスコミに対する国民の不信感は、戦後六十年を通じてこれまでにないほどまでに高まっています。メディアは嘘をつく、というのが、もうかなりの程度、国民的常識になっている。それはこれまであった大衆的メディア批判の気分のように、ワイドショーやバラエティがくだらない、電波のムダ遣いだ、週刊誌の下世話なスキャン
意味の通った文章を書けなくなって久しい。才能の枯渇なんてものは多少なりとも才に恵まれた人々のみに許された特権だと迂闊にも信じていたので、まさか俺のごとき凡夫のなけなしのかしこさもまた平等に劣化し枯渇してゆくものだとはまったく予想外であった。近頃はもはや百四十文字を書くことすら困難になりつつある。電撃大賞の募集規定を見ると二百五十枚とある。無理だ。 ただ、今日は今年になって初めて酒を飲んだので、酔いに任せて書いてみる。 貧困ってのはアイス持ってたらガキが寄ってくるような、そんなせつねえものなんだ。それを知らずに貧困者をどうこう言うのは、病気のことを何も知らないくせに「うつは甘え」なんて言うのと同じだぜ。アイスの思い出 - 男の魂に火をつけろ! 良い文章だとは思うけれど、こんなエピソードなんていくらでも捏造できるし、これは嘘話だったら価値がゼロになるパターンだよねゲーセン彼女のアレとは違って。
こんな記事があった。必要なら嫌われることでもやれるかどうかで運命が分岐する - fromdusktildawnの雑記帳ぼくの本がベストセラーになったことと、反比例的にはてなブックマークやツイッターで批判的なコメントが多いことについて論じられているのだが、これを書いたfromdusktildawn氏の論説には、毎度のことながら巧妙に詭弁が織り込まれている。今回もそうだ。それは、冒頭の一文に現れる。2000万人に嫌われ、200万人に熱烈に支持され、1億人に無視される本を書いたら、その作者はミリオンセラーの大ベストセラー作家になる。 あのぅ……さすがに2000万人に嫌われる人は200万人に熱烈に指示されたりしませんけど? 嫌う人が支持者の10倍もいて、まともな商活動などできるわけがありません。同数でも無理です。この数字は逆じゃないと。つまり――20万人に嫌われ、200万人に熱烈に支持され、1億人
ベストセラー作家の岩崎夏海さんとじっくり話する機会を得た。最後に彼とゆっくり話をしたのは、もう数年も前になる。そのときに比べると彼の主張はずいぶん進化したように感じた。以前は漠然としていた抽象概念が、理論的にも明確になってきたように思う。「炎上ブログを書いているからですよ。実際に炎上ブログを書かないと立場は転落しないから」と言う。その「炎上ブログを書いて」転落した現場を幾つか見せてもらった。こちらの記事は、自らの承認欲求を余すところなくぶちまけて、個人ブログとしては異例の1日12万PVを集めたが、その大半はネガティブコメントだったそうだ。ベストセラー作家だけど質問があるよ? - ハックルベリーに会いに行く岩崎夏海さんといえば、こうした炎上ブログが話題になることが多いが、実際にはベストセラー作家として本を書いたり、週に2日は講演をしたり、ゲームの開発に携わったり、お笑い養成所の講師に従事して
四方田犬彦(1953- )の新著『ゴダールと女たち』(講談社現代新書)を読みました。ゴダールと女たち (講談社現代新書)作者: 四方田犬彦出版社/メーカー: 講談社発売日: 2011/08/18メディア: 新書この商品を含むブログ (1件) を見る 特に、日本語文献での言及が少ない、1970年代以後のゴダール(1930- )のパートナー、アンヌ=マリー・ミエヴィル(1945- )に関する豊富な情報(第4章)が貴重です。 もっとも、全体構成には、1953年生まれの著者の14歳のころ以来の中二病的な偏愛と、急進的フェミニズム、ポスト・コロニアリズムの奇妙な混交という印象をもたらします。 マニアも学者も見下す挑発的な著者は「結びに」で、「今日の日本(および韓国)」でのゴダール論は、映画オタクの「讃辞」と大真面目な学位請求者の「論文」の二つしかないと断じますが、皮肉にも、この本はまさに、個人的な思
19:24 | 最近、知らない老人からよく電話がかかってきます。仕事中か早朝にかかってくるので直接出ることができません。たまに留守電にメッセージが入っているのですが、何を言っているのか聞き取れません。本当に聞き取れません。男性か女性かもわからないくらい聞き取れません。不安になるほど聞き取れません。最初の留守電を聞いたときは、何かの呪詛かと半ば真剣に怯えました。用件もわからずかかってきたときにはとれず、掛け直したとしても事情を先方にわかってもらえるよう説明する自信もなかったので、とりあえず放置していたら、着信履歴がこんな感じになってしまいました。いま、私には、間違い電話の老人しか友達がいません。
日日ノ日キ「90年代当時、ガロは手に入りにくかった?」http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20060715/1152918802 吉田アミさんが90年代に『ガロ』が手に入りにくかったということを書かれているけれど、90〜92年度まで高校生だった僕もその感覚を有している。 僕が『ガロ』を本屋で見つけたのは、たしか近所にできた郊外型デパートの店舗だった。90年だったかな。そこは店長がたぶん熱心なマンガ好きで、自分の所有物の『少年キング』や『COM』を店に飾っていたんだけど、この店で『ガロ』を発見した。高1だった僕は、『ガロ』はもう休刊したものだとばかり思っていたから非常に驚いたのをよく覚えている。 そして、買って読んだらさらに驚いた。アヴァンギャルドでね。トンガってもおらずオタク的でもなく、単にアングラっていうね。山野一や山田花子、丸尾末広、花輪和一、蛭子能収など
誰にも愛されない人間にしかできない社会貢献 東北の人はそりゃあ難儀してるだろうけど、それはそれとして、あなたの街にもホームレスは居る。震災前も、今も。誰にも省みられず、看取られることなく死んでゆく人がいる。その薄汚い乞食のために力を貸してくれ、と言われたら断るのだろう? 原発で死ぬことには男根が疼いても、新宿駅地下の乞食に20万円渡すのは御免なんだろう? その気持ちはとてもよくわかる。だから、マザー・テレサも言っている。「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」。 マザー・テレサの中の人、アグネス・ゴンジャ・ボヤジュの怒りにもまた、俺は共感する。 だいたい、募金を募ることは、いつからああも他人事になったのか。すべてをなげうってなお力及ばず、万策尽きてなお諦めきれず、街頭で喜捨を乞うものたちが、なぜああも溌溂とし
長いので折りたたみます*2007年 秋@aoruruでtwitter始める2007年 冬@Lyphardさんと相互フォローになるtwitterの皆でネット麻雀したりパンヤしたりする、@Lyphardさんともネトゲしたような気がするメッセ・skype垢晒しが流行る(?)ので晒す、@Lyphardさんともメッセしたりする *2008年 春@Lyphardさんに告白される、恋人がいたので断る2008年 夏id:udzuraと始めて会う2008年 秋id:udzuraと付き合い始める *2009年 春id:udzuraと銀座の絵本カフェで遊んだ帰りにリナカフェ行って始めて現実で@Lyphardさんに会う、@Lyphardさんの横で↓のレゴ作る(@Lyphardさんも百景してたけど退会してた…)http://movapic.com/udzura/pic/240829http://movapic.co
母も帰北したことだし、今日からちょっとずつ、クリスマス休暇の手すさびにヴァレリー・ソラナスの"SCUM Manifesto"「男性根絶協会(Society for Cutting Up Men)マニフェスト」を訳してみようかなと思う。結構長いので、全部訳せるかわかんないけど… ヴァレリー・ソラナスは60年代に活躍したフェミニストで、アンディ・ウォーホルを暗殺しようとしたことで有名である。「男性根絶協会マニフェスト」は、1968年頃にソラナスが執筆して配り始めたマニフェストで、基本的にはレズビアンセパレーティストの立場から男性の抹殺を主張するものである(?!)。ソラナスによるとこの文章は辛辣な風刺を目的としたもので、別に本人は男性を本気で皆殺しにする気はなかったようだ(ハムレットも芝居の中で結婚している奴を皆殺しにすると宣言していたが、別にしなかったし、そのノリとたいして変わらん)。ただしソ
取り敢えず本日聖地にて不埒者どもがデモをすると聞いて巡礼も兼ねてヲチしてきたけどよくよく考えたら肝心の巡礼の方をきちんとできてないんで単にヲチしに行ったと言う方が適切かもしれない,と前置きを書いて始めます。ちなみに連中の「行動」をヲチしたのは実はこれが初めてです(これまで,胸糞が悪くなるので映像は殆ど見てこなかったので)。なのでヲチヴェテランの方から見れば「ああ,またか」な事象に過敏に反応している向きがあるかもしれないですがそこはご容赦下さい。また,一々記録を取っていたわけではなく,記憶を頼りに書いているのと,そのデモの全貌を観察し得たわけでもないことから,以下の記述には事実関係の誤りや時系列の混乱,曖昧な内容が含まれている可能性があります。 僕が連中の集合場所に着いたのは,連中が指定した集合開始時間と同じくらいでした。けれど,集合場所である秋葉原公園には既に日の丸や旭日旗,Z旗などを持っ
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日テレで話題のアニメ『サマーウォーズ』を見た。 かなりネットで大評判になった作品であって、いまさらなにを言っても周回遅れ感がつきまとうだろうが、感想を書いておく。テレビ版はかなりカットした部分も多いらしく、とんちんかんな指摘になるかもしれないが。 演出や派手なCGには目を見張ったが、シナリオに欠陥があるのか、思想が受け入れがたいからか、この世界にうまく入り込めなかった。 数学オタクの高校生、小磯健二は数学オリンピック日本代表の座をあと一歩で逃し、しょっぱい夏休みをすごしていたが、マドンナの夏希先輩からバイトを持ちかけられ、一緒に彼女の故郷である長野まで旅行する。なんと婚約者のフリをしてくれとの驚きの依頼で、彼女の実家に行ってみると、そこには何世帯もの大家族が待っているのだった。90歳にもなる夏希の曾祖母で陣内家の当主に挨拶をするが、おりしも仮想空間“OZ”のパスワードを解いてしまったことか
祖母の誕生日で、箱根付近に親族が集まった。一泊二日の小旅行。 が終わって、今、家に無事帰ってきたんだけど、その帰り道の途中に公園で「灯りまつり」というのが開催されていました。 疲れて、重い荷物を持っていたのですが、たくさんの老いぼれと少年少女が描いたぼんぼり(数百個)がなかなか面白くてひとりなのに一時間くらい居ました。楽しい! こんなかんじ 以降、僕のツボを突いた魅惑のぼんぼりを紹介したいと思います。サラッとねサラッと 先程も書いたけど、基本的にぼんぼりを制作したのは小学生か老人ホームに所属するお年寄り。僕はスーパーとかでたまに「母の日に似顔絵を描こう!」みたいなかんじで張り出されてるのを、笑顔でジロジロニタニタ見回して買い物カゴに入ってる生肉を駄目にするような人間なので、今回のこの「灯りまつり」の全体を把握した瞬間に血湧き肉躍った!あはは! サーっと全体を見た感じの印象だけど「あーコピー
Captain EO Tshirts, Tシャツを作る会(仮)MJ主演のTDLアトラクション“Captain EO”14年振りの復活を記念して、MJが劇中でジャケットの下に着ていた服をイメージした、レインボー柄Tシャツを作ることにしました。 ※小心者なので写真は小さくしてみました。各自ググってください☆ラストで“Another Part of Me”を歌いながら立ち去るマイケル。シャツのレインボー部分がキラリと光る演出が忘れられない方も多いはずです。私もそのひとり!1990年、6歳の頃、初めての家族旅行で行った先はTDLでした。4月のまだ肌寒い中、長蛇の列を作るビッグサンダーマウンテンやスペースマウンテンを尻目に、はしゃぐ母が向かったのが“Captain EO”。TVをほとんど観ずに育った私は、この時生まれて初めてスターというものを見たのです。子供の目にも彼は魅力的に写り、その後も小学6年
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