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考察に関するhisashi_nemotoのブックマーク (17)

  • 勝ち組が全てを奪う社会 : Market Hack

    最近、アメリカ社会は「The Winner Takes It All社会」の傾向を一層強めていると言われます。 The Winner Takes It Allとは勝ち組が全てを奪うことを指します。 先週、米国連邦議会予算局(CBO)が「家計収入の分配に関するトレンド 1979~2007年」という題の報告書を提出しました。 それによると近年のアメリカはこの「勝ち組が全てを奪う社会」の傾向が一層強まっていることが浮き彫りになっています。 米国で最も裕福な1%の人々の家計所得は1979年から2007年にかけて+275%増えました。 その一方で中流に属する60%のアメリカ人の家計所得は同じ時期に40%しか増えていません。 その結果、一握りの裕福層がアメリカ全体の富のより多くの部分を支配する傾向が強まりました。 下のパイチャートは五分位数(quintile)による米国の所得シェアを示したものです。

    勝ち組が全てを奪う社会 : Market Hack
  • 分断された日本のインターネット - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    先日「ソーシャルゲームはなぜハマるのか」の書評を書いたが、実は言及できなかったポイントがある。 ソーシャルゲームはなぜハマるのか ゲーミフィケーションが変える顧客満足 作者: 深田浩嗣出版社/メーカー: SBクリエイティブ発売日: 2011/09/10メディア: 単行購入: 20人 クリック: 565回この商品を含むブログ (43件) を見る携帯電話のソフトウェア開発に長年携わった著者は、インターネットユーザーを大雑把に「情報強者」と「大衆」の2種類に分ける。 他国では、インターネットはごく最近まで「情報強者」だけのものだった(スマートフォンの浸透により今まさに大衆層が使いはじめているところだ)。 一方で、日では1999年ころからフィーチャーフォン(ガラケー)が独自にインターネット接続を始める。これはやや奇形的ではあったが、大衆のニーズに合致していた。一方で情報強者層は、ガラケーの制限

    分断された日本のインターネット - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記

    格差と若者の非活動性について (内田樹の研究室) Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。あるいは社会的に連帯するという行為ができないのか。ネットにはけ口が向かっているだけなのか。内田さんはどのようにお考えでしょうか? なぜ若者が何も言わないのか? 答えは単純。「言っても無駄だと思っているから」。

    いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記
  • Chikirinの正体 | quipped

    最近、友人Chikirinの日記を紹介してくれた。日で有数のアルファブロガーだ。かなりの高ペースで良質な記事を書いている人で、鋭い洞察力には舌を巻く。まだ読んだことのない人たちは、是非購読するといい。正味な話、新聞の社説なんかよりも考えさせられる記事が多い。 書く記事もすごいのだが、それよりもぼくが感心したのは、この人のセルフブランディングだ。自称「おちゃらけ社会派」なのだが、実際はおちゃらけてもいなければ社会派でもないのだ。2009年の上杉隆との対談で、彼女はこう述べている。 日ではマーケットに評価されることの大切さを、理解していない人が多い。なので会社や業界の中で評価されることを気にしているけれど、マーケット……つまり部外者には「どうせオレのことなんか評価できないだろう」といった考えを持っていますね。しかし大切なのはマーケットに評価されることによって、「1人前」と呼ばれることだと

  • 格差と若者の非活動性について - 内田樹の研究室

    ある媒体から若者の労働観についてアンケートを受けた。 みじかい回答を期待していたはずだが、やたら長くなってしまったので、たぶんこのままでは掲載されないだろう。 自分としてはたいせつなことを書いたつもりなので、ここに転載して、諸賢のご叱正を乞うのである。 Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。ある

  • 「テレビの時代」はもう終わった 視聴率トップたった18.1%と「史上最低」

    1週間のテレビ視聴率のランキングで、ワースト記録が生まれた。1位がたったの18.1%しかなかったのだ。テレビ離れは、どこまで深刻化しているのだろうか。 産経新聞は、ビデオリサーチの数字(関東地区)をもとに「週間視聴率トップ30」を毎週まとめている。2011年10月3~9日の1位の視聴率は、「史上最低」の18.1%(笑点、日テレビ)だった。 「12%台でトップ30入り」という悲惨状態 産経記事(10月12日付)によると、「18.1%」は、2009年4月末から5月頭の週の18.9%を下回るワースト記録だ。「週間1位が17%台」が目の前に迫っている形だ。 また今回は、ほかにも「前代未聞」の低い数字が相次いだ。2位(連続テレビ小説カーネーション、NHK)が17%台で、4位が16%台という低さだった。 今の時期は、多くの新番組のスタートを控えた「特番週」ではあるが、それは例年のことだ。 前週(9月

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  • ulog.cc - ulog リソースおよび情報

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  • ネット原住民と日本の未来 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    前回のエントリでネット原住民というものが存在するという話をした。ネット原住民とはリアルの世界ではなくネットの世界を中心に住むことを決めたひとたちにぼくが勝手につけた呼び名だ。 ネット原住民というものはどういう性質をもっているか、今後、どうなっていくとぼくが予想しているかについて今回は書いてみたい。 ネット原住民とは基的にはリアル社会から疎外されているひとたちである。リアル社会からネット社会にうつる理由はさまざまでリアルに居場所がないからというひともいれば、ネットのほうが純粋に楽しいからというひともいる。だが、やはりいまの日はそれでもリアル社会の吸引力は強いから、主流は前者だろう。そういう意味でネット社会はある種のリアルで生きづらい人間のふきだまり的に集まったという側面をもっていて、ある種の連帯感は強いものの個別にはそれほど強固な人間関係で結ばれているわけではない。敵にまわすと恐ろしいが

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  • 先日、twitterでこういう言葉を拾いました。「きっと何者にもなれないオタクに限って、写真…カメラ極めようとするよね。」なんとなく同意するところなんですが、ここで質問です。自分��

    「きっと何者にもなれないオタクに限って、写真…カメラ極めようとするよね。」これ、僕もすごくわかる気がします。僕みたいに写真を撮る側の人間が「わかる」とか言っちゃ駄目なんだろうけど、でも同じようなことを言われた時もあるし、写真って絵画や音楽と違って原則的にシャッターを押せば写ってしまうんで、簡単なんですよ。写真を80年間撮り続けている人と今日初めてカメラを持った10歳の子供が同じ露出に設定したカメラを持って同じ立ち位置で同じ方向にレンズを向けたら全く同じ写真が撮れてしまう。これが写真です。「何者にもなれないオタク」ていう言葉が一度何者かになろうとしてそれをあきらめたり挫折した人間や人生に対して何らかの屈を抱えたある種の人間を指すのであれば、そういった人たちがカメラを手に持って「何か出来るかな」「おもしろいな」と考えたりカメラそのものが好きになったりするのは、僕は自分の経験則としてすごくわか

  • 2011-09-27

    欧米(特にアメリカ)の入学試験や、外資系企業の面接で常に聞かれるのが、「あなたのリーダーシップ体験について話してください」という質問です。 大学の入試エッセイでも書かされるし、大学や企業の面接では、過去にどんな場面でどうリーダーシップを発揮したか、事細かに聞かれます。 もちろん入社してからも、リーダーシップは主要な評価項目のひとつとなっています。 ところが日ではリーダーシップについて問われる機会はごく限定的。中には「今まで、一度も問われたことがない」という人さえいます。 なので、その概念自体あまりよく理解されていません。 たとえば私が日人からよく受ける質問は、「欧米ではなぜ全員にリーダーシップを求めるのか?」というものです。 質問の意図は、「リーダーシップという、組織を率いるごく少数のトップ人材だけが持っていればいいものを、なぜ欧米の大学や企業は全員に求めるのか?」とか、 「 10人の

    2011-09-27
  • 自分勝手な日本人と協調的なアメリカ人 | 橘玲 公式サイト

    「日の親はなぜ子どもに甘いのか?」で、日人とアメリカ人の「確信度」の違いについての研究を紹介しましたが、近年の社会学や経済学では、国民性や文化によるエートス(行動や考え方)の差をアンケート調査や実験によって明らかにする試みが盛んに行なわれています。 こうした研究と、従来の日人論に見られる「個人的な体験からの感想」のいちばんの違いは、科学的な反証可能性が保証されていることです。たとえばある実験によって国民性についての仮説が提示されたとしても、別の実験によって第三者がその仮説を反証することができるのです。 こうした研究は、往々にして私たちの直感や常識と異なる結論を導くことがあります。その格好の例として、『残酷な世界~』から、日人とアメリカ人の協調性についての実験を紹介した部分を転載します。 *                   *                   *      

    自分勝手な日本人と協調的なアメリカ人 | 橘玲 公式サイト
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ビールとポップコーンと映画 ラストマイルを見た。良い映画だった。 映画館でべそべそ泣いて、鼻を啜りながら車で帰った。感想はこのブログでは書かない。みんな映画館に行って感じてみてほしい。 帰ってからツイッターで感想を漁り、うんうん、わかるわかる、そうだよね、とまた映画を思い出して…

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  • サンマ一匹食うために4時間並ぶようになったら人生終わりだと思う。 - 拝徳

    こんにちは @tokunoribenです。 今日は旧友とお祭りに行ってきました。 6000匹のサンマの無料配布に貧民3万人が群がるという浅ましいイベントです。 例にもれなく貧困層に属する僕は、この機会を逃すまい、と久しぶりの旧友との再開を兼ねて目黒へ向かいました。 10時過ぎに友人と待ち合わせたころには、すでに長蛇の列が。 ん、でもこれくらいなら並べそうだと列をたどっていくとそこは1km以上に登る長蛇の列が。 普段なら、その列を見ただけでゲンナリして帰るところか何らかの抜け道を考えるべきだったのですが、ついつい友人との話が盛り上がってしまい、これくらいなら我慢できそうかな、と思ったのが運の尽き。 延々と4時間近く並ぶことになりました。 サンマ一匹のために。 列に並んで1時間。 話が弾んでいたせいか気がつけば時間が経っていました。まだまだ列は長そうです。 近くに並んでいる子供たちも無邪気で微

    サンマ一匹食うために4時間並ぶようになったら人生終わりだと思う。 - 拝徳
  • 私が事故後、脱原発派に転向した一番の理由

    先日のエントリーに、「論理的に考える力のない人が、 『放射能は危険』→『原発は不要』→『脱原発』 となっているのは理解できます。 普通に論理的に考える力のある人は、 『脱原発したときのリスク』を考え、 脱原発をしないほうがよいのでは?という意見の方が多いと感じています。 中島さんのような方が、なぜ、脱原発一直線なのかが理解できません。 脱原発について書かれるのはよいのですが、 一度、なぜ脱原発を訴えているのか?についても、この場に書いていただけないでしょうか?」というコメントをいただいたので、今回はその質問に答えてみる。 実は、福島第一原発での事故の第一報を聞いた時に最初に私の頭に浮かんだことは、「この事故は、日だけでなく、世界全体の原子力技術の発展に大きなブレーキをかける事になる。1000年に一度の津波のためにたまたま起こった事故のために、日のエネルギー政策を変更したり、原子力発電を

  • 君たちが嫌いな番組を見たい人だっているんだ。 - la_causette

    高岡蒼甫さんのTwitter上での発言に端を発した民族差別主義者たちによるフジテレビ攻撃に対し、ビートたけしや岡村隆史(ナインティナイン)、田村淳(ロンドンブーツ1号2号)等が「嫌なら見なければいい」と批判を加え、さらにこれに対し、作家の深水黎一郎さんやMIAUの小寺信良さんが異議を唱えるという状況になっているようです。 しかし、放送電波が公共のものだといってみたところで、様々な趣味嗜好が併存する自由の国日において「誰からも嫌がられない番組」を常に作り続け、そういう番組のみを放送するのは至難の業だし、そういう番組はたいてい面白くありません。エンターテインメントビジネスにおいて、「誰かから嫌がられる」というのは不可避の定めであるとすら言えます。だからこそ、エンターテインメントビジネスでは「誰かから嫌がられる番組は放送しません」という選択はとり得ないわけです。したがって、作り手からいえば、「

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  • テレビがネットより優れているトコロ または15万件の苦情に見るネットの可能性 - 水色あひるblog

    昨日、ウチからテレビが無くなりました。もちろんブラウン管式の受像機は今も部屋に鎮座ましましており、消えたのはアナログ放送のコンテンツです。深夜のバラエティー番組が好きな私がいつまでテレビ無し生活に耐えられるか試しつつ、何故私はネットに満足せずテレビを欲するのか、砂嵐の画面を見ながら考えてみました。 ◆ テレビがネットより優れているトコロ。それは「テレビは私の怠惰を許してくれる」事でしょう。 ネットには無限のコンテンツがあり、意思をもって何か調べたい時にはテレビには不可能な事を可能にしてくれてとても便利です。が、ただ退屈をしのぎたい時にも、何を見るか自分で考えて、検索して、選ばなければなりません。これが面倒です。苦痛です。 テレビは私に何も要求しません。ただスイッチを入れれば、勝手に一方的にコンテンツを垂れ流してきます。この怠惰、この愚鈍への寛容、この安逸がテレビの素晴らしさです。またコンテ

    テレビがネットより優れているトコロ または15万件の苦情に見るネットの可能性 - 水色あひるblog
  • ネット上で何か/誰かを批判するのってそんなに意味あることなの?

    対面での批判なら、そこから議論が生まれ、物事が建設的な方向に進む可能性があるから分かるけど、 ネット上で批判を繰り広げても、その行動コストに見合うだけの効果が得られにくい気がする。 反論意見が排除される集団極性化が機能しやすいから、議論に関しても生まれにくいし。 「ただのストレス発散だから別に効果なんてどうでもいいんだよ!」とか言われそうだけど、 批判することによって対象が改善されるケースなんて実はそんなにないわけで、 逆に批判しても批判しても対象が改善されなかったら増々ストレスがたまるものじゃないの? もし当に今の自分の境遇に不満があるなら、何かを批判して不満を解消させるんじゃなくて、 その境遇に陥ってしまった自分自身の甘さを省みて、現実的な抜け出す努力をしたほうがきっといい。 社会に対する不満だって、自身の境遇の変化によって意外にどうでもよくなるかもよ? 最近のネット上の文章って批判

    ネット上で何か/誰かを批判するのってそんなに意味あることなの?
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