感覚代行シンポジウム(Sensory Substitution Symposium)は、感覚代行、視覚補助、聴覚補助、盲聾教育、高齢者等に関するもの、またはそれ等の基礎についての討論を行う場として感覚代行研究会が主催するシンポジウムです。1975年に第1回が開催され、以後毎年12月上旬に二日間に渡って開催されています。感覚代行に興味のある人ならどなたでも御参加頂けます。例年は約100名の参加者と、約30件の一般講演、1〜2件の特別講演があります。
単著が でました。税込みで 2160円です。 あべ・やすし『ことばのバリアフリー 情報保障とコミュニケーションの障害学』生活書院 これまで かいてきた論文4本や、このブログで かいてきたことなどを 整理して まとめました。くわしい もくじは うえのページを みてください。 かどや ひでのり/あべ やすし編『識字の社会言語学』生活書院の続編でも あります。 ジョディ・フォスター主演の『ネル』という映画が あります。今回、本を まとめながら、おもいだしていたのが あの映画です。ぜひ みてみてください。いい映画です。 「あれが できない」「これが できない」といって だれかを 非人間化してしまうことが あります。そういうことは やめたいし、やめるべきだと おもうのです。 あたりまえって なんだろう。なにが どうあることが、あたりまえなんだろうか。そういうことを といなおす本です。ことばは、大事な
群馬県医師会報増刊号 「コミュニケーションがとりにくい障害のある方を診る」 「知的障害、自閉症などコミュニケーションがとりにくい 障害のある方」を診察する際のポイントがわかりやすく書か れています。本書が日常診療にお役に立てれば幸いです。 ダウンロード
コミュニケーション関連で気になる記事があったのでそれを紹介しながらまとめて思ったことを書いてみる。上から目線なのは見逃して下さい(目をそらしながら)。 コミュ障に悩む技術者へ なるTogetterまとめがあるのだが、ここでコミュ障の技術者に愚痴を行っている人は、とてもじゃないがコミュニケーション能力が高いように思えない。個人的な経験則だけど、自称コミュニケーション能力のある人ほど相手の意図を察しようとしないし、汲み取ろうともしない。これは、相手をコミュニケーション能力が低いとか、コミュ障であると断じる人も同じ。 「コミュニケーション能力」と十把一絡げに捉えることの弊害 - 脱社畜ブログのように就活や仕事などの人間関係ではしばしばコミュニケーション能力が話題となる。しかし、24時間残念営業 のMK2さんがいうように そもそもコミュニケーション能力ってなによ。 コミュニケーション能力とは何ぞや
『http://mindgater.hatenablog.com/entry/2012/05/19/022041』を読んでいた。 ...まあ、なんと言うか、このツイートに尽きる気がするのだけど。 「アスペルガー症候群は人の気持ちが分からない」という人は一度でいいから「私はアスペルガー症候群の人の気持ちを分かっているだろうか」と自問してみて損はないよ。もちろんそれなりに勉強した上でね。やるんならそれをやってから思う存分ディスって下さい。ヘイトスピーチでも何でも存分にどうぞ https://twitter.com/mindgater/statuses/203495812951576576 ...例えばさ、相手に理解を要求するときに、相手を理解していない、って、あり得る話なの? それって、自分が所属する多数派の共通項を「あたりまえさ」のドヤ顔で、押し付けているだけなんじゃないの? 例えば、『自閉
今日は趣向を変えて、佐山愛のエロさについて書こうと思ったのだけれど……。昨日 NHK の番組で「急増する“大人の発達障害”」について取り上げられたらしい。私はその時間帯は外出していたのでチェック出来なかったのだけど、その番組にまつわる赤木智弘氏の次のようなツイートが流れているのを見て悲しくなった(ちなみに私は赤木氏はフォローしていない)。いいよな。人の気持ちがわからないヤツは立派な病名がつくのに、人の気持ちを考えすぎて何もできなくなる人は、病気扱いすらしてもらえない。 #nhk— 赤木智弘さん (@T_akagi) 5月 18, 2012 ASDなんて、人の気持ちがわからないクソ野郎なんだから、ほっとけ。という意見が出ない程度の番組。そういう病気の人間に傷つけられる人のことも、少しは考えてやれよ。 #nhk— 赤木智弘さん (@T_akagi) 5月 18, 2012 まず、アスペルガ
ある ひとが、「言語障害は、外国語と おなじだ」と いっていた。だから、「どんどん しゃべらないといけない」と。 そのひとは、脳性まひで、言語障害がある。 言語治療というのがある。くわしく しらない。たいへんそうだ。けど、いいことも あるんだろう。とはいえ、なんでもかんでも「治療」できるものじゃない。 コミュニケーションは、おたがいさま。 だったら? どうしよう? 「言語障害は外国語のようなもの。どんどん きかないとけない」。そういうものだ。 わたしは、そのひとの ことばを ききとるのが まあまあ得意だ。たぶん、それは いろいろ語学を やってみた経験が あるからだ。もちろん、最初は なかなか わからなかった。だから、たくさん きいた。そうしたら、わかりやすくなった。 そうなのだ。「言語障害は、外国語と おなじだ」。 ちがうけどね。 関連リンク 情報保障の論点整理―「いのちをまもる」という視
2009年に「言語という障害―知的障害者を排除するもの」という論文を かいた。もくじは つぎのとおり。 はじめに 1. 言語権という理念 1.1. ひとつの言語とはなにか 1.2. 言語権のひろがり 2. 知的障害と「言語」 3. 言語学の倫理―ジーニーを実験台にさせたもの 4. 共生の条件とされる「ことば」 5. 知的障害者をとりまく社会環境―言語という障害と能力主義 5.1. 言語と世界観 5.2. 知的障害の判定テストと言語 5.3. 能力の個人モデルから「能力の共同性」へ 6. 言語主義からの自由、そして言語権のユニバーサルデザインにむけて おわりに 参考文献 こうした問題に関連して、最近 気になっていることがある。それは「言語能力」によって刑罰の軽重が左右されてしまうということだ。 浜井浩一(はまい・こういち)は『2円で刑務所、5億で執行猶予』光文社新書で、つぎのように のべてい
『家政婦のミタ』というドラマ。おもしろい。すきだ。 おもしろい点は いくつかある。ひとつは、責任を 実感するプロセス。 このドラマにでてくる家族は、最初「家政婦」に やたらと あまえる。「家政婦なんだから、ちょっと」と、勝手な「家政婦」イメージで 愛想を とってもらおうとする。ご意見してもらおうとする。 ミタさんは、きめるのは あなたたちだ、わたし(家政婦)は 家族ではないということを つたえる。そして、ミタさんは いわれたこと(業務命令)は どんなに無茶なことでも やってしまう。 そこで、ミタさんに 依頼を するひとは 責任を 感じるようになる。 「どうして そんなことするんだよ!」と おこってみても、依頼したのは 自分だからだ。ミタさんは「おてつだい」は してくれても、なにかを 自分のかわりに きめてくれるわけではないからだ。 もうひとつは、ミタさんはロボットではないということだ。ドラ
ドイツ北部ハノーバー(Hannover)の世界最大の情報技術見本市「CeBIT」で脳波を使ったゲームを楽しむ男性(2010年3月3日撮影、資料写真)。(c)AFP/DANIEL MIHAILESCU 【11月10日 AFP】脳波を検査すれば、実際には意識があるのに永続的な植物状態にあると誤診するケースを防げるとする論文が、10日の英医学誌「ランセット(Lancet)」に発表された。携帯可能で安価な診断手法や、意識のある患者と意思疎通を可能にする技術の開発に期待がかかる。 「昏睡状態」が意識がなく覚醒してもいない状態を指すのに対し、「持続的あるいは永続的な植物状態」は「自己や環境についての意識はないが覚醒した状態」と定義されている。この「持続的な植物状態」は、脳死と異なり法律上は人の死と認められていない。 カナダ・ウエスタンオンタリオ大学(University of Western Onta
パネリストとして参加します。「情報保障に必要なこと」という題で 20分 はなす予定です。 「異文化現場のコミュニケーションをつなぐ」 第2回 文化とコンピューティング2011協催イベント インターネットの普及により,異なる文化,言語をもつ人々のコミュニケーションが可能となり、互いの言語バリアを超えるためにさまざまな言語サービス、システムが研究、提供されています。こうした中、多文化、多言語間の活動でのコミュニケーションを行うにあたってICT技術が活用されはじめています。 本会では、社会課題や活動課題の解決に向けて、ユーザーと開発者が連携し開発、運用している取り組みを中心に取り上げ、両者の連携について多様な視点で掘り下げます。 日時:10月22日(土曜日) 午後13:00〜17:00 場所:京都大学 吉田キャンパス構内 百周年時計台記念館 会議室?? 参加費:無料(本イベントのみ) 第1部 1
まえがき 薬になる言葉 医師は自分の放った言葉が患者にどれほど大きな影響力を持っているのかを認識して言葉を使っているであろうか?同じ言葉でも医師から言われるのとほかの職種から言われるのでは、患者に与える影響は大きく異なる。医師の言葉はプラス面でもマイナス面でも患者の精神・身体的状況に大きな影響を与える。よって、医師はまずは言葉を凶器にしてはならないのが大前提であり、それから進んで、言葉を薬にできるかが課題となる。 同じ言葉でも状況によって薬になったり、凶器になったりする。たとえば、医療の現場でよく使われる「がんばる」という言葉は、「よくがんばりましたね」と患者の努力を評価する際には薬になり得る。しかし、うつ病の患者やがん末期の患者に「がんばれ」という言葉を使うとそれは凶器にもなる。うつ病では一般に励ましは禁忌である。言葉は患者の置かれた状況や患者―医師関係によって受け取られ方が180度変わ
ひとごとじゃないから。 - hituziのブログじゃがーの つづき。 おきた。 結局、学校にも施設にも、「生活指導のひと」が いるんだなあと おもった。やかましく、きびしいひと。そういう役割期待がある。じっさいに期待されている以上に、本人が自負心を もっている場合もある。過剰適応というのだろうか。「わたしが いないとだめなんだ」という気負い(きおい)と いっても いいだろう。 どうして どなるのか。おおきい声は だしてほしくないのに。 それは、はなしが通じるからこそ どなるんだと おもう。まったく はなしが通じないときには、どなったりしない。どうにもならないときには支配しようとはしない。 どなれば、つたわるという実感を もっているからこそ、どなってしまう。けれども それは一時的な効果しかなく、おなじことの くりかえしになる。そこで、「ああ、つたわっていないんだ」「つたえかたが まちがってい
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