ブックマーク / diary.lylyco.com (3)

  • 差別は自然な感情だからこそ|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    なくしたいなら教育や啓蒙によって差別心を矯正するしかない。 およそ素朴な差別心というのは「差異」に対する違和から発するんだろうと思う。侮蔑からくる差別も畏怖からくる差別も、ある域値を超えた「差異」からくるという点では変わらない。そして、その域値にはかなりの個人差がある。たとえば、限りなく域値が小さい人は、一般的な意味での差別は不可能である。何故なら、そもそもすべての人間に違和を感じるはずだからである。全員が差別対象ということになれば差別のしようがない。実は、この状態は域値が無限に大きいというのとほとんど同義である。そして、域値を大きくすることは、おそらく教育によって可能である。 域値をできる限り大きくしてやることで、否応なく差異を受け入れさせる。そう考えたとき、来あるべき「みんな」の差異を必要以上に平板化したり隠蔽したりすることは、明らかに逆効果である。当はまったく違うはずの「みんな」

  • ベジタリアンという食道楽|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ただの偏の話をこうして面白おかしく書けるのはさすが著名ブロガーだと思う。 ・きっこのブログ: ついウッカリのベジタリアン に善悪はあるか?ベジタリアンでもベジータリアンでも何でもいいけれど、こうした意図的な偏といわゆる好き嫌いによる偏との間に質的な差はない。理由が少し異なるだけで、ただの偏だ。宗教上の理由で牛をわないのも、ダイエット中で牛をわないのも、味が嫌いで牛をわないのも、臭いが嫌いで牛をわないのも、菜主義で牛をわないのも、やっていることはみんな同じである。性質が悪いのは、ただの偏の癖に、その偏を「正しい人間の姿」であるかのように主張し、偏でない人間を暗黙裡に非難するような「○主義」の類だろう。 自分でい物を獲ってわなきゃならない環境に置かれれば、人はい物を獲ってう。それが生きるということだろう。ただ、複雑になった人間はパンのみには生きられない。

    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/09/28
    なんだこれ。人類が みんな「ふつーの日本人」みたいに肉食できると おもっている? 肉食に かかるコストを かんがえないと。ちょっとくらいは。せめて。肉食は ぜーたくなんですよ。それは しっておかないと。
  • 「世界に一つだけの花」は幸福よりも不幸を量産する|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    問題は「世界に一つだけの花」が幸せになれるとは限らない点ではないか。 ・SMAP「世界に一つだけの花」は、ネオリベ礼賛の歌です - 女教師ブログ 歌詞に面白い註をつけるネタとしては結構楽しめた。以下、ネタにネタをかぶせるという愚挙に出る。まず、「世界に一つだけの花」はリンク先ほど曲解しなくても、そもそもあまり優しい歌ではない。自分は世界で唯一の存在である。そう信じられる人はすでに十分恵まれている。自分なんて所詮代替可能な社会の歯車であり、没個性的なその他大勢にすぎない。そんな自己否定に囚われている人はいまだ多いはずだ。そういう人たちに「唯一個性的な自己」みたいなものを礼賛して見せたところで、まるで救われた気持ちにはなれないだろう。むしろ凹むかもしれない。 他者抜きの幸福。そうしたものがあり得るのかどうかは分からない。少なくとも、今のところ有効な方法論は見付かっていないと思う。一般に人は他者

    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/07/02
    "自分なんて所詮代替可能な社会の歯車であり、没個性的なその他大勢にすぎない。そんな自己否定に囚われている人はいまだ多いはずだ。" だからこそ、あの歌が できたわけで。
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