※したとアイデンティティに関するhizzzのブックマーク (6)

  • たくさんの不平等な関係。たくさんの わたしの立場。 - hituziのブログじゃがー

    この社会は、平等ではない。不平等だ。それを ただしたい。平等を もとめたい。単純にいえば、それだけのことです。 多数派には名前がない(ヤマト人=和人として、その責任を ひきうける)。 - hituziのブログじゃがー じつは、うえの記事は、ほとんどの部分を ファミレスで かきあげました。あるとき を いくつか もってファミレスで のんびりを よんでいたのですが、そのなかにユン・コンチャ(尹健次)さんの『「在日」を考える』平凡社ライブラリーがありました。序論が刺激的だったのです。一部だけ紹介します。 …「日人」とか「日国民」という実体は存在していないといって、それらをすべて虚構として放り出してしまっていいというわけではない。現に在日朝鮮人が被差別の存在であるとするなら、その在日はいかなる集団なのか、また在日を差別しているマジョリティはいかなる集団なのか。それを具体的になんと表現すれば

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    hizzz
    hizzz 2009/08/12
    「多数派には名前がない」その後の考察。「みんな」って(そう断定選別した主体を抽象客体化する)あんたと、誰?」関連>http://d.hatena.ne.jp/hizzz/20080619、20080111、20061101、20040716
  • 多数派には名前がない(ヤマト人=和人として、その責任を ひきうける)。 - hituziのブログじゃがー

    ヤマト人は にげる。「民族は つくられた概念で、実体は ない」と相対化する。おきなわ人に「ヤマト人」と よばれても、アイヌ人に「和人」と よばれても、そんな実感はないし、民族意識など もっていないと いえてしまう。 国家において、「民族」を 意識させられるのは、いつもマイノリティである。差別制度が、日常的な差別が、マイノリティに「民族」を 意識させるのだ。 それを 指摘し、多数派日人に「ヤマト人」や「和人」という名前を つけてみても、「名前のない多数派」は にげてしまう。「民族意識など、幻想にすぎず、そして わたしは「ナショナリズムに反対する」」のだと。そんな態度が良心的だと、なぜ おもえてしまうのか。 多数派は、名前を つける側である。そして、多数派は名前を もたない。多数派は、名前を つけられるのを いやがる。自分たちは、だれかにたいして、くりかえし やっていることなのにだ。 民族は

    多数派には名前がない(ヤマト人=和人として、その責任を ひきうける)。 - hituziのブログじゃがー
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    hizzz 2009/05/10
    近現代日本地域での「やまと」民族自認といったら、国体明徴運動~民族派右翼。それに不/非選択で無徴主義なのは別に糾弾されることではない。>http://www.t-file.org/Essays/1998-02.html
  • 押して、押して、押し倒されろ! - FC2 BLOG パスワード認証

    管理人からのメッセージ 過去ログは随時noteへ移行していきます。今後ともよろしくお願いいたします。 https://note.mu/yu_ichikawa/

    hizzz
    hizzz 2009/04/28
     目的は手段を正当化しないし、その逆の手段も目的を正当化しない。/「あらゆる人格を目的として扱い、決して単なる手段として取り扱うことのないように行為せよ。」@カント
  • 2009-03-09

    『ショアー』などの商業的成功も手伝って、一般的には「ホロコースト」「ディアスボラ」といったら、ユダヤ民族迫害が第一義に想像されてしまうのだが、迫害は彼らだけの独占問題ではない。id:hizzz:20090204で書いたように、大戦後は東ヨーロッパに住む多くのドイツ系が暴力的な迫害を受け、ほとんどが国外に追放された。ヨーロッパの20世紀は、少数民族集団に対する暴力が最高潮に達した時代だった。という訳で、遅ればせながら、id:hizzz:20090214前回の続き。 欧米で神聖化したホロコーストの悲劇と、それを金儲けに利用するユダヤ系産業資を批判して、「ホロコーストの唯一性を主張することは、ユダヤ人の唯一性を主張することになる。ユダヤ人の苦しみではなく、ユダヤ人が苦しんだということが、ザ・ホロコーストを唯一無二のものにする。言い換えれば、ザ・ホロコーストが特別なのはユダヤ人が特別だから、とい

    2009-03-09
    hizzz
    hizzz 2009/03/28
    直接拙ブログでは、貴説で漏れており重要と思われるその他の視点とその根拠&資料を書いてますよ。Web上ロマ情報なさすぎ。正負合わせた「唯一無二性」含むホロコースト研究変遷>http://d.hatena.ne.jp/hizzz/20090406
  • 「ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去

    「ホロコースト産業」については以下のリンクに要約がある。 http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hb/a6fhb811.html http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20061004NGFinkelstein.htm また、今回この文章を書くにあたって以下のなどを参照した。 「シリーズ・ドイツ現代史」は値段・分量ともに手ごろで、また質の高い議論がなされていると思うので、機会があったらぜひ参照してほしい。 さて、題の批判にはいるが、このの問題をここの資料まで検証して指摘していくのはキリがないし、質的だとは思えない。よって、いくつか確実に問題点を指摘できることをいくつか取り上げた。したがって、取り上げていない論点に関してぼくが承服しているというわけではない。 ■ユダヤ人請求会議は、

    「ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去
    hizzz
    hizzz 2009/03/27
    「構図」を過小評価したとき、ロマ虐殺を「ユダヤと同じホロコースト」と表現して回復運動しているロマ自身の「意図」と、どう整合性をとるのだろうか?>ホロコースト研究変遷>http://d.hatena.ne.jp/hizzz/20090406
  • 「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去

    「ホロコースト」と無冠詞でいえばふつうナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺のことを指し、シンティ・ロマの人々や障害者の虐殺については一般的にはこれを含めない*1。「ホロコースト/Holocaust」という言葉はそもそも、「完全に焼く」という意味のギリシア語「holokaustos」から来ており、旧約聖書に出てくる5つの犠牲の内のひとつ、つまり獣を丸焼きにして神に捧げるという宗教的な意味を持っている言葉である。ナチスのジェノサイドによって犠牲になったユダヤ人たちは収容所の焼却炉で最終的に焼かれたことから連想された言葉だが、それが一気に広まったのは1978年に放映されたアメリカのドラマ「ホロコースト」である。 このドラマは、多くの実証的な研究を下敷きにしつつも、あるドイツ人とユダヤ人二つの家族がナチズムの時代にどのような運命をたどったかという、より物語性を重視したフィクションである。とはいえ

    「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去
    hizzz
    hizzz 2009/03/26
    「唯一性」解釈で歴史を分断してしまう危険性については、批判する反ユダヤ陰謀説に包摂される危険と同等に、乱暴すぎる物事の単純化。
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