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国際とアフリカに関するhnknのブックマーク (2)

  • チュニジアの暴動からベンアリ独裁の終わり: 極東ブログ

    チュニジアの、それを革命という人もいるし「ジャスミン革命」と呼ぶ人もいるが、暴動のきっかけは2010年12月17日、中部の町、シディブジド(Sidi Bouzid)で、大学は出たものの職はなく路上で野菜を売って家の生計を立てていた26歳の青年モハメド・ボアジジの焼身自殺の試みだった。国民の人口の42%が25歳以下のチュニジアでは、モハメド青年は象徴的な若者の、絶望のモデルにも見られた。話題になりやすい条件はあった。 モハメドの父は彼が3歳のときに死んだ。そのころベンアリ大統領(当時)の独裁が始まった。モハメドの短い一生は、他の青年同様、その独裁政権以外を知らない。彼は10歳には学校から帰ると路上での販売をした。26歳、1週間の売上げは6000円。それも無免許販売を理由に警察は商品を没収した。彼は1万6000円ほど借金をし、また商売を始めようと地域の役所に懇願に行ったが空しく、女の役人に侮蔑

  • 「発展」と「アフリカ」 - 過ぎ去ろうとしない過去

    アフリカが発展しない理由 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100207 アフリカ(これ自体、あまりにも大雑把なくくりだ)についてはあまりくわしくないのだが、このエントリがダメダメであるのは3秒で分かる。こんなエントリにスターが100個もついて、ブクマも800を越すという情況はあまりにもひどい。 一番問題なのが、「発展」ということばを用いながら、あまりにも無批判に、欧米的な「近代性」原理を自明のものとして扱っていることである。そもそも、「近代」とはさまざまな形象をもった、複雑な概念である。人権概念、集権的な国家システム、資主義的な生産様式、自然科学に基づく合理的な思考様式・・・、これらすべてが「近代」の語には含まれるが、それらは当然ながら一緒くたにできるものにあらず、ある社会におけるそれらの「受容」あるいは「押し付け」のあり方はそれぞれの形象ごとに異なる

    「発展」と「アフリカ」 - 過ぎ去ろうとしない過去
    hnkn
    hnkn 2010/02/11
    「ぼくたちはアフリカの複雑性、重層性についてあまりにも知らなさすぎるし」「生半可な知識で、アフリカの未来について絶望するなんてのは、あまりにも西洋中心主義、近代進歩史観的な見方であろう」
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