タグ

2016年1月15日のブックマーク (1件)

  • 去りゆく美学でコメの世界と決別した

    前回のこの連載で、いまから40年以上前、当時ほとんど無名だったコシヒカリを見いだし、東京で専売店になった米穀店「三島屋」のことを紹介した(1月8日「さようなら『魚沼コシ』の開拓者」)。戦後の料難を背景にした「空腹を満たすためのコメ」ではなく、高度成長で豊かになった人びとが「おいしいコメ」を求めるようになったことにいち早く気づき、ニーズに応えようとして出会ったのがコシヒカリだった。 三島屋は、その後、日のコメで圧倒的な存在感を誇った新潟コシヒカリの販売で時代の先頭を走り続けた。コシヒカリが話題になるたび、メディアの取材が殺到した。その店が2014年秋、世間の注目を集めることなくひっそりと店を閉じた。今回は三島屋が閉店にいたるまでの経緯をたどる。 1989年、改装 ブランド米の販売の先駆者だった三島屋の挑戦がピークに達したのが、1989年、バブル経済が頂点に達した年の改装だった。陽光が差す

    去りゆく美学でコメの世界と決別した