ブックマーク / kawango.hatenablog.com (4)

  • 人間の本体は心臓でもなければ脳でもないという価値観 - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    AIとはなにかということを、真剣に考え始めたのは、6年前からだ。AIとはなにかというテーマを突き詰めていくと、そもそも人間の知性とはなにか、という疑問にぶちあたる。 人間の知性を将来はコンピュータに搭載された人工知能が超えてしまうという想像はコンピュータの登場とともに誕生していて、なにも新しいことではない。事実、コンピュータは発明された瞬間に、計算能力においては人間を軽く超えていた。 計算能力で劣っているにも関わらず知性において人間がコンピュータに負けてないと思うのは少し奇妙なことでもある。人間の脳の機能の進化において、数字を扱って、計算できるようになったのはかなり最近のことのようだ。人間の脳にとっては、足し算とかかけ算は、最新のバージョンアップで、やっと可能になった最先端の高度な情報処理能力であって、それでコンピュータに負けてしまったということだ。 人間がコンピュータには直感はないとか、

    人間の本体は心臓でもなければ脳でもないという価値観 - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
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    hobbling 2019/01/18
    人間の本質は筋肉である。マッスル・エヴォリューション。
  • 罪を犯した人間をどこまで許すべきか - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    最近、起こったいくつかの事件について思うところを書く。ひとつはHagexさんが亡くなられた事件。もうひとつは、松智津夫の死刑執行の件。そして結愛ちゃんが亡くなった事件だ。 最初のふたつの事件には共通項がある。それは加害者である、いわゆる「低脳先生」こと松英光容疑者にしろ、麻原彰晃こと松智津夫元死刑囚にしろ、彼らの行動に弁護の余地がほとんどないことだ。 そして、両事件とも被害者には、ほとんど落ち度がなく、理不尽な犠牲者でしかなかった。殺された被害者のまわりに残された人たちの悲しさ、悔しさは、どれほどなのかを考えると、胸が苦しくなる。 このふたつの出来事のあと、ネットでいろいろ議論が起こった。ぼくも若干巻き込まれた。 簡単にいうと、「松英光」にしても「松智津夫」にしても、彼らが凶行に及んだことには理由があるという指摘がいくつか現れたことと、それに対する大反発である。 「低脳先生」につ

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    hobbling 2018/07/19
  • 民主主義は本当は独裁よりもましなのか? - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    あんまりはっきりとした結論が出ないエントリであることをあらかじめお断りしておく。 ↓のような記事を読んだ。 まあ、とくに内容についてはコメントすることはないのだが、民主主義について思っていることを書く。 この記事の中では民主主義は「ひとつの価値観が暴走することを防ぐための画期的な発明である」というようなことが書いてある。そしてそれは国家統治のためには優れていてもビジネスにおいては非効率であるということが書いてある。 民主主義について、こういう類の否定と肯定が入り混じった言説はよく見る。なかでも有名なものはチャーチルの演説の中での「実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」という一節だろう。 ぼくはこういうテーマを見ると、当のところはどうなんだろうと、すぐに頭の中で民主主義を表す力学的な数理モデルを考えたくなる

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    hobbling 2014/10/20
    独裁は短期的には効率的だが、長期化すると責任が曖昧になって腐敗し立ち行かなくなる。だから大統領制という期限を区切った独裁制度がある。
  • 【ミリしら】評価経済を批判してみる - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    ニコニコ動画の人気タグに「ミリしら」というものがある。1ミリも知らないという意味で、歌ってみた動画なんかについている。ようするに原曲をまったく聞いたことないけど歌ってみたとかいう意味だ。なにしろ元々の歌い方をしらないので無茶苦茶な歌い方だったり、意外とまともだったりしてどきどきして面白い。 ネットの言い争いにも「ミリしら」は、昔からよく見る光景だ。なにも知らないのに自分の極端な意見を主張したり、逆に他人のちゃんとした主張を思い込みで決めつけて批判するひとたちだ。でも、なぜか、わざわざ自分から「ミリしら」と名乗り出るような文化はないようで、ちょっとさみしい。ということで、今回の記事は堂々と「ミリしら」と主張しながら、なにかを批判してみるという実験だ。題材は最近よく単語を目にすることが多い「評価経済」を選んでみた。 なにしろ「ミリしら」だから、これからは評価経済の時代だといっているひとたちが、

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    hobbling 2012/06/06
    評価経済って、デフレによる買い手市場を言い変えてるだけの気がする。
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