第二次大戦中、フランスは植民地の西アフリカから約20万人の「セネガル狙撃兵」を召集した。しかし戦後、セネガルに帰還した彼らは仏軍に銃殺され、「脱走兵」の汚名を着せられた。歴史の闇に葬られた「ティアロエ虐殺」の真実を求めて、遺族の長い戦いが続いている。 「遺体を掘り起こさなければならない」 死ぬ前に父親の骨を見たい──それが年老いた彼の最後の願いだ。 一族に着せられた汚名をそそぐにはそれしかないと、彼は言う。それは、長らく葬られてきた真実を世界に向かって証明する唯一の方法でもある。 真実とは、第二次大戦中、フランス解放のために戦った西アフリカ人兵士数百人が帰還後のある朝、仏軍司令官らの命令によって殺されたことだ。 「あの白人の男たちは、黒人の男たちをごみのように捨てたのです」 犠牲者たちは「セネガル狙撃兵」連隊に所属していたが、多くはセネガルと同じくフランス植民地だったブルキナファソやギニア