僕の持論である「卒論は『論文を書く練習』、修論は『研究をする練習』、博論は『研究者になる練習』」というフレーズ。それを少し具体的に、気が向くままに綴ってみました。主に僕が専門とする神経科学分野での話ですので、分野ごとに事情が異なる点にご注意下さい。乞うご批判・ご指摘。「誰でも編集可」にしてありますので、リスト編集・デコ等ご自由にどうぞ。(注)タイトルをわかりやすく変更しました。後からの変更でごめんなさい。
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故あって《数学を教える》ことについての本を読んでいた。目にしたものは、どれもしびれるほど面白い。 思えば先日Amazonで一時ベストセラーになってたG. ポリア『いかにして問題をとくか』(クローズアップ現代で取り上げられてたことを教えていただいた方々遅ればせながらありがとう)だって数学書というより(そして数学啓蒙書というより)も、数学教育書だった。 ところで数学について、解き方は教えられても、考え方は教えるのは無理だと考える人は今でも多い。 そういえば、はやりの中学数学やりなおし本などでも、結局のところ「こんな風に解け」としか言っていない。まったく、あんなものどこがいいんだか。 そうやれば解けることは分かるけれど、本当に知りたいと思うのは「どうしたらそういう手順を自前で思いつけるのか」ということなのだ。 『いかにして問題をとくか』のあまりに有名な一節。 「この解法はうまくて間違いがないよう
エロカルチャー 2011年08月09日 昨年の『School Girl Complex』(イースト・プレス)などのフェティッシュ系写真集の売れ行きを見るに昨今、ストレートなエロス作品よりもフェチ系作品に人気が集中しているように思える。そんなフェティッシュ系全盛の中、スカートをはいてモノを拾った場合、どのような拾い方だとパンチラせずにすむかを研究し、検証している「絶対に下着がみえない拾い方の研究と考察」という、ありそうでなかったフェチ系ど真ん中の動画を作成した方がいる。それが、妄想科学研究所を主催している野平花男氏だ。なぜ、このような動画を作成するに至ったのか? お話を伺った!! ──まず、なぜこのような動画の作成に至ったか、経緯をお伺いしてもいいですか? 野平花男(以下、野平) 私は、元々映像作品のディレクターをしています。その仕事の中で、あるタレントさんに出演をお願いして某動画サイト用に
Benjamin Libet (1916-2007) の自由意志にかかわる(とされる)研究が,ぼくたちの日常概念にどう関係するのか,しないのか/神経科学研究者として コメントさせていただきます.Libet は 自身の 実験の 解釈に いまいち 一貫性・説得性が かけるので,実験の 結果と 解釈は わけたほうが よい.それから,いまでも この 種の 議論では Libet が 中心となるようだけれど,Hagaard, Lau, Sakai らによる 類似パラダイムでの あたらしい 成果が どんどん でているので,そちらを おわないと どうも 周回 おくれのように かんじる.などです.
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