年を取れば取るほどに、 立場が上がれば上がるほどに、 「おかしいこと」をしていても、 それを指摘される機会は少なくなる。 だからこそ、 フラットな関係をいくつも持っているということ、 それは「善く生きる」上での大きな強みになる。 今は簡単に切れる「つながり」ばかりだ。 「つながり」の数ばかりを気にして、 その数が多いほどステータスになる。 自分にとって、 「耳障りの良い」意見の持ち主とばかりつるんで、 反論に対する耐性はダダ下がりになるのだ。 あまりにも度を越しているものはともかくとしても、 「痛いところを突かれたな」って、 そういう指摘をされたときに、 人の真価は問われるんじゃないのかな。 「グサリ」と刺された痛みに耐えながらも、 それを「グッと」堪えて受け止められるか否か。 将来はそこで分かれるのだ。 「自分の考えはおかしいのかもしれない」 生きていれば、 そう思う場面はたくさんあるだ