陸山会事件(石川・池田・大久保関係)の検察論告を読んだ。まさに瓦礫のような論告、「読むに堪えなかった」というのが率直なところ。ほとんど、妄想・憶測を書きならべたような三流週刊誌レベルの「論告」を、東京地裁の刑事法廷で恥じらいもなく朗読できる神経が私には理解できないし、特捜検察が、そのような存在になってしまったことは情けない限りである。 この事件の経過全体を見たとき、特捜検察の政治的画策は、小沢氏不起訴によって失敗に終わった。にもかかわらず、検審の起訴議決という、検察にとって屈辱以外の何物でもない手段にまで頼って、当初の目的にこだわり、その画策の手段として行った現職国会議員の石川氏の起訴を、その後の同氏の公判で、水谷建設からの5000万円の裏献金という凡そ同氏の起訴事実とは関連性のない事実の公判立証で、まともな事件に偽装しようとするという、刑事手続の常識を逸脱したやり方を押し通してきた。それ